13


 

 到着の翌日、モモは宿の周辺を一人で散策していた。

 トットは常にはいてくれない。一緒にいるのは州から州への移動の間と、それから彼が思い立って食事に連れ出してくれる時ぐらいだ。

 モモを宿へ置いていく代わりに、モモが一人で出歩いても平気な場所を予め教えておいてくれる。

 自由に旅をする人間つくりものはまずいない。一人でうろついているとしたら、それは脱走者と見なされる。ヒト見つかれば厄介なことになるのは間違いない。そうなっても文句は言えないどころか、まず命はないだろう。

 今のところ、トットの言うとおりにして悪いことは起こっていないから信用している。。

 モモたちが泊まった宿は、入って来た『中央ゲート』を管理するクイン市の中心市街地にある。州全体で見ると南部にあたる。そこから少し北上して、市境あたりに州を動かす機能の要を据えてあり、女王たるメアリー・ブレイザーの居も当然そこにある。

 招かれてもいないモモにはまだ、何の縁もない。

『最果て』へ向かえ。

 アシュリー・ヘイズはそう命じたけれど、モモは彼の名代や特使として派遣されたわけでなかった。詳細な活動指針が示されていない。トットの旅のお供なのに、宿に着いたら放っておかれる。

 つまり、モモは時間をとても持て余していた。

 手持ち無沙汰に街を歩くが、中心市街地というのに通りは静かだ。

 といっても、しんと静まりかえっているのではなく、必要以上に騒々しくないという感じだ。朝食時はとっくに過ぎている。むやみやたらに声を張りあげる売り子は見あたらないし、通りを歩くヒトや走る車の数は指で数えられるくらいだ。

 歩いていてちらちらと視線が飛んでくるのはきっと、彼らが外からの客に敏感だからだ。珍しいものを見た好奇心は二割、あとはどこか排他的な目だ。

 決して居心地はよくないが、逃げ出したいほどに怖いとモモは思わない。

 モモはたった一度出ただけの、あの品評会を思い出す。

 柵の前を通過していくヒトの中には冷やかしで野次を飛ばすものもいた。

 見られることに臆するようではあの場には立てないし、たとえあの場にいたとしても売れ残っただろう。そんな駄目な個体は処分か再教育だ。

 あの時を思えば、ちらちら見られる程度、なんてことはないと思えた。

「……お昼ごはん、どうしようか」

 まだそんな時間ではないのだが、呟いてモモは立ち止まった。トットは特に何も言っていなかったから、きっと宿に戻ってこない。だから昼食は一人だ。人間の食事とはヒトにとって嗜好品だから、つまり値が張る。

 安全面を考えても、宿に戻って頼むのが一番いいだろう。

 ……これまでもそうしてきたわけだし。

 トットが一緒なら食堂のようなヒトの多い場所にも長居できるのだが、今は無理だ。

 そこでモモの思考は中断を余儀なくされた。

 背後、頭上の方からひときわ強烈な風が吹き付けてきたのだ。

「……っ」

 風圧にモモはよろけた。目に見えない豪腕になぎ倒されたようなものだった。

 瞬間的に「まずい」と感じた。

 そのまま倒れたら間違いなくどこか怪我をする。

 脳裏に浮かんだのは宿のベッドだ。

 高速演算ののち、刹那の間で魔法が発動する。

「ぐえっ」

 肺の空気が背中からの衝撃に押し出された。視界がシーツに埋め尽くされる。

「ひゃっ」

 何やら可愛らしい悲鳴も聞こえた。

 ……悲鳴?

 のし掛かる謎の重力に耐えながら、モモは顎を引き、背中に視線を向け、そのまま凍り付いた。

「え? あれ? なんでわたし……ここどこ?」

 背中の上に何故か少女が乗っかっている。室内をきょろきょろ見回している。

 外見年齢はモモとそう変わらないだろうか。

 明るい髪色のショートボブに、一見スカートのような膝丈パンツとパーカーという組み合わせは活発そうな印象を見るものに与える。

 ふと視線を下げた彼女が、ようやく土台の存在に気付いた。

「うわあああっ」

 バランスを崩し後ろに仰け反った少女が頭からベッドに落ち、そのまま流れるように床に滑り落ちた。

 急いで起き上がるモモだが、間に合わず為す術もない。

 ごん、と彼女が身体のどこかを床にぶつけた鈍い音がする。

「いたい……」

「大丈夫ですか?」

 モモはベッドから降りて、彼女の正面へと回り込む。頭は床に、足は半分ベッドに残した状態で、彼女はモモを床から見上げる形になる。

 痛みに顔をしかめながらもモモを見た彼女が、はっと目と口を開いて、固まった。

「…………」

「あのう……大丈夫ですか……?」

「だ、だいじょうぶ……じゃない、手貸して」

「あ、はい」

 少女はモモの腕を支えにして、体勢を立て直し、ベッドに凭れるようにして床に座り込んだ。

「どうなってるの? あたしさっきまで外にいたはずなんだけど」

 乱れた髪に手櫛を当てながら、少女が疑問を口にする。

 はたしてどう答えたものか。モモは考える。いきなり魔法の話をしても胡散臭がられるだろうし、モモにとっては切り札みたいな物だから極力ヒトに教えたくない。

 そもそもどうして彼女がくっついてきたのか。

 きっとモモが気付かなかっただけで、近くにいたのだろう。おそらく焦っていたから設定を間違えて巻き込んだのだ。きっとそうだ。

 できれば静かにその辺の反省会をしたいところであるが、そのまえにこの少女をなんとかせねばならない。

 ……どうしたらいいかな。

 逡巡するモモに、彼女が質問を投げかける。

「ここって、あなたの部屋?」

「そうです、けど」

「……あなたも外にいたわよね?」

 モモは黙秘した。そんなモモを少女はじろりと見て、

「ちょっと後ろ向いてくれる?」

「え、」

「早く」

「あっはい」

 強い口調に逆らえず、モモは後ろを向く。やっぱり、と少女が呟いた。

「……間違いない。あの時ぶつかりそうになった後ろ姿といっしょだわ」

 ぶつぶつ何か言っている。

 じわりとモモの額に汗が滲んだ。

「……あの」

 恐る恐る振り返ったモモに、少女が言った。

「小型転移装置!」

「え?」

「そうでしょ!」

 自信満々に言うものだから、これ幸いと何食わぬ顔でそうだとモモは頷いた。

「どこか痛いとか気分が悪いとかは、ないです?」

「ん? んん~……べつに?」

 少女は首を左右に振ったり手を握ったり開いたりして、最後に首を傾げる。

「そうですか、なんともないならよかった」

 モモはほっと胸を撫で下ろす。

 これまで魔法を使って、自分以外の他者、生きているヒトを移動させたことはなかった。しかも今回のは、初めから意図したわけでなく事故だ。どんな余波が身体に表れているのか、今はないとしても、一晩経てば何か出てくるかも知れない。

「もし具合が悪くなったりしたら連絡ください。ぼくはモモって言います、しばらくはこの宿にいますから」

 彼女はじっとモモの顔を見て、

「……モモ、ね」

「はい」

「ふうん、わかった。あたしはキャンディよ」

「ポップな名前ですね」

「よく言われる」

「ごめんなさい、嫌でした?」

「そうじゃないけど……」

「元気な感じがしてぼくは好きですよ」

 お世辞ではない。

 キャンディが目を丸くした。ぱちぱち瞬いて、さっとモモから目を逸らした。

「あ、ありがと……ところで……なんだけど、さ。その転移装置、見せてくれたり……しない?」

「すみません、企業秘密なので」

 すかさずモモはにっこり笑った。俗に言う営業スマイルだ。大抵これでなんとかなるのを知っている。

 キャンディは手指をもぞもぞからめ、

「そ、それじゃ仕方ないわね」

「はい、すみません」

「わ、わかったから。それより……そっちこそ、どっか具合悪かったりしないの?」

 背中の上に乗っていたことを気にしていたらしい。

 確かに何が乗っているか分からなかった時は苦しかったが、その正体が分かってからの焦りやらですっかりどこかへ忘れ去っていた。

「悪かったらこんなふうにお喋りできませんよ」

「そう……ならいいんだけど。あ、ねえ? これから、時間ある?」

 予定なら空白だ。モモは素直に頷いた。

 キャンディは一瞬ぱっと目を輝かせ、すぐ手元に視線を落とす。もぞもぞ手指を合わせながら、ちらちらモモを見て言った。

「これも何かの縁だし、あなた外から来たヒトでしょ? お昼ご飯、おいしいとこ連れて行ってあげる」

 

 キャンディはモモを、宿からそう遠くない、けれど知らなければきっと分からない、そんな裏道にひっそりとある小さな店へ案内した。

「おじさん、おいしいのちょうだい」

「いつも言ってるけど、うちはうまいのしかないから」

 無精髭の店主が無愛想に応える。

 壁に貼られたいくつもの短冊状の紙切れには料理の名前が綴られている。正直それを目にするまでモモはひどく緊張していた。

 おいしいところに連れて行ってあげると言われたが、ヒトの主食は人間の血だ。

 初対面の人間に正体を明かすのもまずいし、などと考えている間に「行こう」と手を引いて立ち上がらされて、モモは断るタイミングを失ってしまった。

 目の前にどーんと真っ赤な杯が置かれたらどうしようとひやひやしていたが、どうやら杞憂だったらしい。

「ほれ、おまちどうさん」

 そんなに待つことなく料理がやってきた。店主自らの配膳だ。

 口の広い碗に白っぽいスープと麺が入っていて、その上に炒め煮された野菜がのっている。できたてとばかりに湯気が立ち上っている。

 店主がモモを見て言った。

「おまえさん、箸は使えるか」

「はし?」

 そういえば配膳されたのはまだ料理だけだ。

 店主が料理を載せて運んできた盆の上を指した。なんだか木の棒を削ったみたいなものがある。

 モモはさっと頭の中の事典を開いた。どこかで見た覚えがある。食文化の項目なのは間違いない。ヒトは人間が築いた文化の延長上に生きているが、全てを継承することはしなかった。地域性なものは特に、廃れててしまったものもある。

 ……ああこれだ。

 ページが見つかった。

 箸。まだヒトがいない頃、遠い東の方の人間がおもに使っていたらしい。

 ちなみにこの東と、今の人間の生息圏の東は一致しない。人間とヒトとの戦いは世界地図も書き換えた。

「すみません、初めて見ました」

「だろうと思った」

 店主はモモにフォークを渡した。よく見ると、ちょっと違う。フォークとスプーンが合体したみたいな形をしている。どうやら一本でどちらの使い方も出来るように作られているらしい。

 興味深く眺めていると、キャンディに急かされた。

「ほらほら、冷めないうちに食べる!」

「あ、うん」

 それもそうだとスープを掬おうとしたモモを、キャンディが意外そうな目で見た。

「なに?」

「ううん。……可愛い返事するなあって」

「?」

 口に中で呟かれた言葉は聞き取れず、モモには「ううん」しか分からなかった。でもきっとそれでいいのだろう。彼女は食事を再開している。

 モモは熱そうなスープにそっと息を吹きかけた。

 野菜の火の通り加減は絶妙で、はたしてこれはアーヴィングの邸で再現できるだろうか。そんなことを思いながら食べた。

「質問してもいいですか?」

「……その堅苦しい喋りやめてくれたら答えてあげてもいいけど?」

 そう言うと、キャンディは豪快に碗から直にスープを啜った。モモはその姿勢にちょっと吃驚した。今までモモの周りにそんなヒトはいなかったのだ。

 この料理はそうするのが正解なのだろうか。

 ……言葉使いかあ。

 意識して、切り替えてみる。

「ええと、この州で、人間を買うヒトは多い?」

 碗を両手に持ったまま、キャンディが眉を顰めた。

「営業のヒト?」

「違うよ。あちこち寄ってきたうえでの、純粋な好奇心だよ」

「ふうん……そうね、あたしはここから出たことないから知らないけど、ここのヒトは大体パックとか錠剤で済ませちゃうような面倒くさがりばかりだし、お金出してまで可愛がろうってヒトも少ないわ。品質向上に励むヒトもいない。息してるだけで充分とか、ああ今日もどうやら生きてる……とか、そういう言葉がみんな大好きよ」

「……きみも?」

「さあ、どうなんだろ……」

 言葉を濁し、キャンディは硬い表情で碗をテーブルに置いた。

「ねえねえ、あちこち寄ってきてるんだったら……あたしに他所の州のこと、教えてくれない?」

「いいけど……その代わり、この州の中を案内してくれたら嬉しいな。ぼく、連れてこられただけだから、暇なんだ」

「そうなの? わかった。でも残念だけど、今日は午後から用事あるから明日でいい? 宿の前まで迎えに行くから」

「うん、ありがとう」

「違うわ、こういうのは取引成立って言うのよ」

 にやりとキャンディが悪戯っぽく笑う。

 なるほど確かにそうだと思ったから、モモも同じようににやりと笑った。

 

 

 

 


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