お願い(仮題)


 

 面倒臭いことが大嫌いなぼくの友だち。

 自分でも柄じゃないけど、なんてことを言う。

 そうだね、本当にそうだと思うよ。だけどそんなきみが大好きだから、ぼくはきみの願いを叶えてあげたいって思うんだ。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 王国の西隣が皇国。そこから地図で更に西に位置する小さな国が、共和国。

 小国ながら独立を保っていられるのはどこよりも魔術に強いからだ。開祖がその身を犠牲にして、民の誰もが簡易に魔術を使えるようにした。共和国の人間にとって「向こう側」は他国よりも身近なところにある。

 ゆえに「向こう側」に関する研究がどこよりも盛んで、他国からそれを学びに来るものもとかく多い。

 その象徴たるのが通称「学院」である。

 

 

 レイリーは出かかった欠伸を咄嗟にかみ殺した。

 バレないはずだったが目ざとく気付いた教師が眉をひそめる。見えない舌をだしながらすいません、と心にもない謝罪を口の中で唱えた。

 来月に主席でこの学院を卒業する予定のレイリーにはもう、授業や試験は退屈以外の何ものでも無い。教師の声は勝手に耳を右から左へと流れていく。

 学院に留学し、卒業後は実家のある皇国に戻り、そして軍に入る。

 ご先祖様の言いつけで、望むのぞまざらず、一族の男子はみなこの道を辿らなくてはならない。

 顔も知らない故人の遺言を延々守り続けるのは正直どうかと思いもするが、レイリー自身にこれといってやりたいことがあるわけではない。父や兄のすることを真似ていたら神童なんていわれ、期待され、家から逃げ出すきっかけを失い現在に至る。

 実家からの情報によれば、近頃皇国は魔術士の増員を図っているらしい。

 皇国はもう何十年、いや数百年単位で外と戦をしていない。目の上のコブだった王国が得体の知れない魔属領との防衛網と化し、以来目標を無くした彷徨い人のように力を持て余している状態だ。それでもさすがに共和国に手をだすのはまずいと考えられる冷静さはあった。

 長らく軍縮傾向にあったが、それが前線において矢面に立たない魔術士にしろ増員だというのだから、きな臭い感じがするのは否めない。

 ……なんだか楽しいことになりそうじゃない?

 などと人には言えないことを密かに思っているレイリーだ。

 学院の授業に実践はあっても実戦はない。練習相手は血を流さないし最初から息をしていない。模擬戦として生徒同士で競いあうこともあるが、それらは立ち会いがいて成り立つ。教師の目が光るところで無茶なことはできないし、そんな生徒もまたいない。

 レイリーにはそのあたりが少々物足りない。

 だがレイリーはなにも決して血なまぐさいことが好きなわけでなく、自分の実力を正しく計れる機会にめぐまれそうなことが彼に期待を抱かせる。

「――レイリーいるか」

 教室の入り口から自分を呼ぶ声が聞こえ、顔をあげる。いつの間にやら授業は終わっていたらしい。

 戸口の所に立つ生徒に一瞬、教室中の視線が集う。

 中性的でやや甘い顔立ちながら体つきは平均的な共和国男子がそこにいる。共和国の人間は男女とも、同世代の皇国の人間と比べて頭一個ぶんほど小柄な傾向にあり、その彼もその例に漏れない。

「ウル」

 名を呼びながらレイリーは席を立った。

 ウルは隣のクラスだが、寮の部屋が隣だったり選択科目が同じだったりしたのがきっかけで仲良くなった。休日に一緒に街をぶらついたり、暇があれば魔術や「向こう側」に対する互いの見解をぶつけあうくらいに親しい間柄だとレイリーは思っている。ウルもそう思ってくれていたらいいと願っている。

 そのウルが、いつもなら戸口で待ったりせず教室の中まで入ってくるというのに、今日は外で佇むばかりで表情が妙に硬い。

 どうしたんだろう。いや、兆しはあった。

 いつからだったか、一緒にいるときにふと表情を翳らせるようになった。最初は気のせいかと思ったから放っておいた。あとで気になってどうしたのかと訊いてみても「どうもしない」とはぐらかされるだけ。

 嘘だ――そう指摘する勇気をレイリーは今日まで持てなかった。友人としては寂しいが、きっと今は一人で考えたいのだ。愁いが晴れた暁には、教えてくれるだろう。

 そう考えて、もどかしい想いでその時を待っていた。

 けれど卒業まであとひと月と迫っても、ウルの翳りは消える様子がない。

 卒業すればレイリーは学院を去り、共和国を出ていく。ウルは生まれも育ちも共和国の人間だ。もう会うことは二度とないかもしれない。ひょっとしたら、敵になる可能性だってある。

 やはり出自の違う自分では真の友人にはなれないのか。

 近頃はそんなことを考えるようになって、いつか彼にぶちまけてしまうんじゃないかと、隣にいながらレイリーはいつもひやひやしていた。

「どうした、ウル?」

 そっと問いかけたなら、ウルは腹を括ったように勢いよく俯けていた視線をあげた。

「話がある」

 ついにきたか。

 ずっと待っていたはずなのに、いざその時が来てしまうと緊張がはしる。いったい今からどんな告白をされるのか。

 レイリーは知らず唾を呑んだ。

「ここじゃ目立つから、場所を変えよう」

 ウルは辺りを憚るように小声で言うと、レイリーの腕を掴んだ。

「おいっ、ちょっと待てよ」

 いつになく積極的なウルの行動に驚くレイリーは、なすすべもなく引き摺られていく。体格差を見れば弟が兄を引き摺っているようなものだ。そんな二人を物珍しそうに眺める周囲など気にもならないのか、ウルは廊下をずんずん突き進んでいく。

 どこまで行くのかと思えば、そう遠くもない階段の踊り場で彼は足をとめた。

 けれど目的地に着いてもウルは手を離さない。まるで離してしまうことを恐れているみたいだとレイリーは感じた。そんな子供じみたことをするようなやつだたったろうか、レイリーは眼前の人物を訝しむ。

「……なあ、ウルさん?」

「……おまえは卒業したら、共和国ここから去るな?」

「お、おう、そうだな」

 いきなりの事実確認に、そうだと頷くくらいしかできない。

 けれどそれは、あとできいたところによればウルの決意を後押しするに充分な返事だったらしい。

 決意を秘めた双眸がレイリーを見上げる。真っ直ぐな瞳に射抜かれ、レイリーは息を呑む。

「連れてってくれ」

 レイリーは目を瞬く。なにかとんでもないこと言われたが、幻聴か。

「悪いが、もう一回言ってくれるか?」

「……俺も連れてってくれって言ったんだよっ」

 訊き返されたのがとんでもなく恥ずかしかったのか、ウルは耳まで真っ赤にして、早口に言い募った。

「なあウルさん、もしかして、ねえ、まさかと思うけどさ。最近ずーっと悩んでたのは、これ……?」

 真っ赤な耳のウルが小さく頷く。

「……卒業したら進路が別れるのは当然だと思ってたから、深く考えたことはなかったんだ。だけど段々その日が近づいてきて、おまえとはもうこれきりなのかと考えたら、なんかもやもやと嫌な気持ちになったんだ」

「ウル」

「おまえとはもっといろんな話がしたいし、この先おまえほど話の通じる奴に出逢えるかどうかって考えたりもした。……出逢えたとしても、おれはきっとそのときおまえを思い出すだろうし、比べもするだろう」

 ウルが、まだ掴んだままのレイリーの腕をぎゅっと握りしめる。正直ちょっと痛いけれど、そんなこと言える雰囲気じゃないことくらいレイリーだって分かる。

「失うくらいなら、おれはおまえと共にありたい」

 どこまでも強くそして真っ直ぐな瞳と真摯な言葉にレイリーの胸はふるえた。

 ウルが悩んで悩んで出した結論。けれど内に秘めるでなく、こうしてレイリーにぶつけてくれた。

 ぞくぞくとレイリーの背筋を喜びが駆け抜けていく。

 知りたかった彼の悩みこたえが今、ここに提示された。

 ウルの願いは、レイリーの心でもあった。悩んで選んだウルと違って、レイリーはその感情に自分で蓋をして、諦めていたけれど。

「……きっと、楽しいことばかりじゃないぞ?」

 どうしようもなく、そんな予感だけはあった。

「いい。おれが決めたことだ」

 ウルの瞳は、声は、決して揺らがない。

 ……ああ、これこそ僕の好きなウルだ。

 自然と身体が動いた。ウルがびくりと後退るにかまわず、ちょうど拘束もとけた両腕で彼を抱きしめる。

「レ、レイリー?」

 腕の中で戸惑いの声を上げるウルがおかしくて笑う。

「共に、って言っただろ」

「そう、だ、けど――」

 ……ああ僕はこんな愛おしい存在を、捨て置くところだったんだな。

 しみじみと腕の中の温もりを確かめる。

「……嫌って言っても離さないぞ?」

 それでもいいのか、今ならまだ間に合うぞ。言外にそう滲ませて問いかける。

「主席さまが何を今更、小物みたいに怯えるよ?」

「……怯えてなんかない。最終確認だ」

「ほんとうか?」

 挑発するように上目遣いに見てくるウルにかちんときて、小賢しくも愛らしい唇を己のそれで塞いでやった。

「んむっ!」

 逃げる頭に手を回し、無理矢理唇をこじ開けて舌をねじ込む。怯え離れようとする頭を押さえつけて口内を蹂躙する。

「……んんっ」

 突っぱねようとウルはレイリーの肩や胸を押すけれど腕の拘束は緩まない。舌の動きは執拗で、酸欠だろうか頭がくらくらしてきた。腔内で動き回る舌は巧みで、ただ苦しいだけじゃなくて、頭の片隅で心地よさに溺れていたいと思う。

 ……ああだめだ。

 冷静な自分が弁えろと告げてくる。埒があかないと判断して、ウルはレイリーの爪先を靴越しに思いきり踏みにじった。

「ぃ……っ!」

 声にならない悲鳴をあげ、レイリーがウルから離れた。痛みを堪えるようにその場にしゃがみ込む。

「こんの……調子に、乗るなよ。ここがどこだか忘れたわけじゃないだろうな?」

 見下す瞳に、レイリーはぞくぞくした。知らなかったけれど、どうやら自分にはそんな性癖もあったらしい。

「それ、さ。よそで続きをやろうぜってお誘いかな?」

「……言って欲しいの?」

「おねだりされて嬉しくない野郎はいないだろ?」

 さもありなんと、ウルは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 王城から煙があがる。

 城下の人間は呆けたようにそれをみつめた。

 踏み荒らされた石畳は城へと続く。折れた剣が、槍が、死体と共にうち捨てられている。城から立ち上る煙は風に流され、城下に灰を降らす。

 逃げ遅れ、しかしまだ命あるものは言葉もなく落ちた城を見つめた。

 ――終わった。

 誰の心にもその想いがあった。

 長らく栄えた王国にもついに、終わりの時が来た。

 本当はもうずっと昔から壊れていたけれど民はそんなこと知りもせず、ただ時代の変遷を迎える――。

 

 

 

 ※※※

 

 あれは確か魔属領なんてものができる前の日だったっけ。

 

『ねえザクロ、ボクは王国を出るよ』

 これからお散歩に出かけるみたいにさらりとカルナが口にした。そんなのはいつものことだからぼくは驚かない。というか、カルナが何を言ってもよほどのことでないかぎり動揺なんてしないかな。

 だってぼくの価値観と人間の価値観は違うからさ。

《お仕事、やめちゃうの?》

『そうだねえ、なんだか楽しいところじゃなくなっちゃったからなあ』

《そっか、わかったよ。おいしいもの、うんとあるといいな》

 そう言ったらカルナは珍しく驚いた顔をした。あれあれ? ぼく変なこと言ったかなって思ったよね。

『ザクロは、ついてきてくれるの?』

《いっしょはいやだった?》

『そんなわけない。ただ、王国を出たら契約切られるのかなって思っていたからね』

《カルナがどこにいようと関係ないよ。ぼくはきみとけーやくしてるんだ》

 きみがいいから契約するんだ。

 この辺は人間にはちょっと分からないかもね。ぼくらにはもうね、息をするみたいに当たりまえの感覚だからね。

『それならじゃあ、ちょっとお願いしてもいいかな』

 もちろんだとも。カルナの願いをぼくが断ったりするもんか。

『……もし。何十、何百年とさ、王国がまだ続いてて。その時まだアルカが囚われているようだったら、ボクの子孫に力を貸してやって欲しいな』

《んんん? どーゆーこと?》

『ボクにはどう足掻いても主席になる力は無いし、ちょっとやそっとの努力であいつの仕掛けた魔術はとけないだろうからね。ボクはボクの子孫に賭けてみようと思うんだ。ザクロの力を十二分に引き出せるやつが生まれたら、力を貸してあげてよ』

《アルルカのこと、助けたいんだ?》

『うーん、どうかな? こんなの柄じゃないと思うんだけど……。ウィスクのやることはちょっと度が過ぎていると思うからねえ』

 途中までは面白かったんだけど、とカルナは言葉を締めたけど。

 人間の気持ちはぼくにはむずかしくてよく分からないとこもあるんだけどね、カルナがアルルカのこと嫌いじゃないのはわかってたよ。

 傍観してたらさ、手を出せる段階じゃなくなっちゃったんだよね。それでも何とかなるだろうって高を括ってたら、どうにもならなくなっちゃった。

 たぶんカルナが感じてるのは「良心の呵責」とかいうやつなんでしょ? だからさ、らしくないことしたくなったんだよね。

 ……だけどそんなきみがぼくは大好きだから。

 

 

 ねえ、カルナ。

 

 きみのお願い叶えたよ。

 きみの願いが叶うようにぼくもがんばったよ。

 ぼくの力を十二分に引き出せるやつなんてきみは言ったけれど、ぼくはずっときみの子どもたちを見守って、いっぱい力を貸したよ。

 ううん、それだけじゃない。

 皇国が王国を倒せる時もちゃんと見極めた。

 きみがいたら、よくやったって、ぼくにこれでもかってくらいおいしいものをご馳走してくれたかな。

 淋しいけどそろそろきみをこちらのことわりに返して上げるね。

 きみは願いの代償としてぼくに食べていいよっていったけど、残念だけどぼくの好物は違うし、たとえそうだとしても、ぼくはきみを食べたりしないよ。だってきみが大好きだから。

 あ、そうそう。

 お願い叶えたからっていきなりきみの子どもたちから手を引いたりなんてしないから安心してよね。

 

 それじゃあね、カルナ――。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 王国の瓦解と共に、長らく存在した魔属領が綺麗に跡形もなく自然消滅した。

 調査の結果、魔属領の発生そのものが仕組まれた、王国による自作自演であることが判明した。

 また王家の血の問題も明らかになり、皇国による王族狩りが行われた。

 

 

 王城から煙が立ち上ってから三ヶ月。

 王国だった地は、周辺各国を交えた講和会議の場で正式に皇国に併合された。

 

 

 皇国の進軍に大いに貢献したのは、あの名高い共和国の学院で学んだ、若い二人だったという――。