01


 

 気が遠くなるような昔のこと、と誰も彼もが言う。

 

 はじまりは一人の男。

 彼は幻想に取り憑かれていた。

 人間は誰しも『幻想因子』というもの持ち得ている。だから、幻想を白日の下に引き摺り出してやるのだと。

 なにが「だから」なのか、それは男以外には分からない。

 妄執ともいえる彼の熱意の結晶は人間の世界を壊した。

 開発された通称・因子活性化ウイルス。

 得体の知れないそれが場所を選ばずして散布された結果、あながち男の発想が間違っていなかったことが証明される。

 あり得ざる事だがウイルスが適合した人間から、人間の亜種が誕生した。

 それらはいわゆる『幻想』と称される生き物とよく似た性質を備えていた。彼らは自分達を新人類と称した。

 もちろん、それを世界が許すはずもない。

 よって、人間と人間の亜種による戦いが勃発した。

 対戦に勝利したのは、亜種。

 はれて彼らは新人類ヒトとして世界に君臨することになる――。

 

 ――と、いうようなことを、モモはゆっくり瞬きする間に思い返していた。

 格子で仕切られた目の前を人の群が通過していく。モモは見世物の一つだった。けれどモモもまた、彼らを観察する側であった。

 品評会、と支配者たちは言う。広々とした会場は、この見世物のためにだけに存在する。場内の外周を格子で仕切り、商品を並べ、品定めをする。

 この世に生まれてちょうど八年。

 モモ、なんて可愛らしい名前をしているが由来は少し、重たい。

 百体目の成功例――その言葉から想像する陰鬱さを微塵も感じさせない紅顔の美少年、それがモモだった。

 透けるような白い肌、夜空を儚く照らすお月様のような金色の髪。翡翠色の瞳には理知の光が宿っている。この日のためにあつらえたという正装が、少年らしさをより引き立たせていた。

 ぼくを見て、と心中で念じる。

 モモの小さな双肩には社運という期待が掛かっている。

 品評会は各社がこぞって育て上げた人間を披露する場だ。気に入られた人間は望まれた先へ金と引き替えに貰われていく。

 

 家畜として。

 奴隷として。

 愛玩動物として。

 

 この世に生きる数多の亜人ヒトは人間の血液を糧とする。

 けれどかつての争いで、人間は稀少な存在になってしまった。亜人の生活圏に旧来の、純たる人間は存在しない。

 パック入りの人工血液でも充分事足りるがやはり人間の身体から直に摂取する方が美味だということで、亜人は人間を造ることにした。

 けれどただ人間を造っても意味がない。

 自分達に刃向かわず、それでいて最高に美味な血を持っているというのが肝だ。近頃は見目に拘って、愛玩用に力を入れるところも少なくない。

 モモを作ったのは、大手血液製造会社の下請けも下請け、バートリー社だ。稀少な型の血液製造に特化した、従業員は社長夫妻とあと数名だけの零細企業。どうせ倒れるなら一花咲かせたいという一念で、人間の製造に着手した。

 モモが首から提げたパネルカードには、モモのデータと社名が表示されていて、格子の向こうの有象無象がそれと実物とを見比べていく。

 健全な精神なら居心地悪いと感じるべき所でも、調整されたモモは動じることがない。 にっこり笑って、誰かいいヒトがぼくを買ってくれますようにと念じている。

 ……どうかお願いします、買ってください。でないと会社のみんなが路頭に迷ってしまう。社長さんも奥さんも、みんな、一緒になって、一丸となってぼくを育ててくれた。みんないいヒトたちなんだよ。

 けれどそんなことは、目の前を流れる群衆の知るところでない。

 バートリー? 聞かない名だな。とかなんとか言われているのが聞こえてくる。悲しいけれど顔には出せない。出してはいけない。

 モモは己の価値を知っている。

 ふんわり笑うと誰もが目を奪われるような紅顔の美少年、それがモモだ。どこで誰が見ているか分からない品評会の間は己の価値を下げる行為は御法度である。

 ふと視線を感じた気がして探してみると、これから流れてくる群の中、大人達に混じって一人、少女がいる。きっとそばに親がいるのだろう、モモはゆっくり瞬きしながらバートリーの話を思い出す。近頃は品評会に子供のペットを求めてくる親もいるそうだから。

 そっと観察してみるが、少女は気のない顔……というよりむしろ退屈そうに見えた。本当はこんな場所に来たくなかったのかも知れない。だって周りはみんな大人ばかりだ。

 ……ああでも、ヒトって人間と成長の仕方は違うそうだし、ひょっとしたら大人みたいな子供とか、その逆とか、見た目で判断しちゃ駄目なのかも。

 ……ああそれにしても綺麗な子だな。

 ……百合の花、ううん、

「おひめさまだ」

 うっかり思ったとおりを口に出してしまった。

 でも誰にも聞こえていないと思ったのに、どうやら少女の耳はしっかり拾ったらしい。

 目が合った。

 いっしょになって呼吸まで止まった気がした。

 モモはびっくりして、笑うことをうっかり忘れてしまった。

 そうこうしているうちに、優雅にヒトの間を縫って少女がモモの前までやってきた。向かい合ってみると彼女の方が少し背が高い。

 ……ぼくよりお姉さんかな?

 淡い水色のドレスが石膏のような肌を際立たせ、よく似合っている。煙るような睫。紫水晶みたいな瞳。ぷっくりと形のいい唇。ドレスの袖裾から覗く、しなやかな手足。

 ……ほんとうにお姫さまみたいだ……。

 もちろんモモは本物に会ったこともないし、これは単にモモが想像するものだ。想像が具現化して目の前に降臨したみたいだなんて声高に叫ぶつもりはないが、それに非常に近い感覚だった。

 モモは常になくどきどきしていた、彼女の魅力に圧倒されていた。

 彼女が息を止めろと言えばきっと、従うだろう。この少女にはそんな力がある。そんな気がする。

 そこまで想像してから、モモは可笑しくなった。そもそも造りものがヒトに抗えるわけがなかった。自分はどうかしている。

 遅れて少女の後ろから、追いかけるようにやってくる一人の男。おそらく父親だ。何ごとか呼びかけると、少女は振り返って父親の上着の裾を引っ張った。

 水みたいな清かな声が空気を震わせた。

「お父様、わたし、あの子が欲しい」

 モモは耳を疑った。動揺を押し隠してそっと、彼女の背後を窺う。

「まだ半分しか見ていないのに、もういいのか」

 じろじろ不躾な視線がモモを値踏みする。いったい彼女にどこが受け継がれたのか悩んで考えてしまうくらい厳つい顔の大男は、きっとパネルの説明を読んだのだろう。太い眉を顰めた。

「眉唾な……」

 呆れを含んだ小言を吐く。

 ……まあ、そうだよね。

 モモは落胆しないし、反論もしない。

 

 因子活性化ウイルスはいわゆる『幻想』の存在をこの世に再現した。

 ただ男の目論見と違ったのは、その八割を占めるのは吸血鬼と類似したもので、あとの二割が他の幻想。

 その二割に『魔法使い』は含まれない。

 よってこの世界に『魔法』と『魔法を使うもの』は存在しない。そうなっている。

 それにもかかわらず、モモのパネルにはこう表示されてある。

 

 

 ――保持技能アビリティ・『魔法』――

 

 

 

 

 

 


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