03


 

 ……どうしよう、怒っているんだろうか。

 足早に、モモの手を引いて邸の中を進むサラに、なんて声を掛けていいのかわからない。

 サラは勝手知ったる我が家を突き進んでいるが、モモは右も左もさっぱりだ。

 アーヴィング家の邸に到着し、玄関先で夫人のベティに出迎えられたものの、挨拶もそこそこにこの状態だ。

 というか、挨拶の途中でサラが遮ったのだ。

「ごめんなさいお母様、この子、熱があるの」

 なんだかおっとりした感のあるベティは「それはいけないわ」とモモの額に手を当てようとしたが、その手は触れることはなかった。

 寸前で、サラがモモの腕を引いたからだ。

「お部屋に行きましょう」

 反駁をゆるさず、サラはそのまま廊下を歩き出した。腕を取られているからには、ついていくほかない。しかしちゃんとした挨拶もしていないのにいいのだろうか。気になって後ろを振りかえると、ベティはおっとり微笑んでいて、モモに向けてひらひら繊手を振ってくれた。

 ヒトを外見で判断してはいけないが、グレンの厳つさからきっと奥さんはこんな感じかなと勝手な想像をしていたから、モモはベティを見て少しばかり拍子抜けしていた。

 サラが百合なら、ベティは日だまりに咲く小さく可憐な花を連想させる。

 そうこうしていると、誰の部屋か知らないが、ドアの前でサラが立ち止まった。

 アンティーク調のドアノブを回し「さあ、入って」と促す。

「し、失礼しまぁす……」

 主人が「入れ」というものを断ることもできず、モモはそっと部屋の中に足を踏み入った。

 壁と天井は淡いベージュ色で、部屋の中央にベッドが一つ。その頭もとにクッションか人形なのか不明だが、ピンクと水色の縞模様がついた球状の物体がある。

 白いサイドテーブルの上にしおりの挟まった本が一冊。

 入り口から見て左手にドアが、その反対側にレースカーテンに覆われた窓が一つ。

「あの、サラさま」

「なにかしら」

「ここはもしかしてサラさまのお部屋なんじゃ……」

「そうよ。さあモモ、上着を脱いで早く休みなさい」

 当然のように答えられても、モモは困る。

「あのでもぼく、」

「なあに? わたしがいいというのだから、遠慮することはないの。あなたはあたしのものなのだから、あたしがあなたの面倒を見るのは何にもおかしな事ではないでしょう?」

「それは……そう……かもしれないですけど」

「ほら。上着を早く脱いで……貸しなさい。着替えはあとで持ってくるから」

 完全に納得したわけではないが、それこそ主人の言うことには逆らえないから、急いで上着を脱ぐ。追い立てられるようにベッドに向かって、躊躇いがちに手をついて、布地の柔らかさとバネの弾力に驚いた。

 今までモモが寝ていたものは決して粗末なものではなかったはずだけれど、だけどこれは性能が格段に上等だと、手をついてみただけで分かる。

 ……ほ、ほんとうにいいのかな。

 モモは無意識に唾を呑んだ。

 ゲストルームか、いや、床で寝ろと言われた方がまだ素直に受け入れられた。

 モモはサラの愛玩物として買われたのに。なのに、ちょっと具合が悪いくらいで主人の使うベッドで休んでもいいものだろうか。

 ますます膨れあがる不安から、モモは主人を振り返った。

「さ、サラさま。お気持ちはとっても嬉しいのですけど、ぼくやっぱり――」

 魔法を使って熱が出るのは今日が初めてではない。データ録りや微調整、訓練だといわれ、茹でタコのように顔を真っ赤にして、ふらふら覚束ない足取りで魔法を展開し続けた日もあるのだ。

 これくらいの熱なら時間経過でどうとでもなると自分でもよく分かっている。

 すると、サラの方から微かなため息が聞こえた。

 ……あ、どうしよう怒った……怒らせた……まずい、気に入って貰わなくちゃ行けないのに、くだらないことでごねて不興を買うなんて……。

 後悔やらが一気に膨らんで恐ろしくなって目も瞑れないモモの前で、サラがベッドの縁に乗り上げた。

「モモ、いらっしゃい」

 ぽんぽん、と寝台の上を叩いて誘う。

「モモ」

 もう一度、同じ加減で叩く。

 彼女の瞳にはやはり何か力があるのかもしれない。

 目が離せない。モモは躊躇いを捨てた。ベッドに乗り上げたところで、ぐっと腕を引かれる。

 投げ出された頭の先に、枕。身体が弾む。

「……っ、サラさまは、力持ちですね」

「見た目にしてはと言われたことあるけれど……でも、ヒトの中じゃ弱い方よ」

「そう……なんですか?」

 ヒトの身体能力は旧来の人間を上回っているものの、日常生活でそれを実感することはあまりない。その超越した力を一番実感できるのはやはり争いごとだが、世の支配権を握ったヒトが本気で争う場面は限られるようになった。

 身近の比較例が思い浮かばず唸るモモの横に、サラが横たわった。

「なっ、サラさま?」

「なあに、一緒に寝ては駄目?」

「だめというか、服がしわになりますっ」

 慌ててそう言ったら、なぜかサラは笑った。

「な、なにかおかしな事言いましたか?」

「だってモモ、あなたまだ八歳なんでしょう? なのにお母さんみたいな事口にするから」

 この「お母さん」がベティのことでなく、一般的なそれを指していたとモモが気付くのはもう少し後だ。この邸でベティはほとんど家事をしない。

「あ……も、もっと子供っぽい方がいいなら努力しますけど」

「そんなのしなくていいわ。それよりも……今はお休みなさい」

 白い指がモモの前髪を梳き上げる。

 最初は戸惑ったが、何度かされているうち眠気に襲われる。

「……おやすみ、モモ。良い夢を」

 額に優しく触れる感触は夢かうつつか、考える余地もないほどモモはすっと眠りに落ちた。

 

 

 

 ……ああこれは夢だ。

 モモはすぐに分かった。

 もうモモはアーヴィング家の邸にいるはずだ。なのにここは品評会の場である。そしてモモはそこに立つ自分を、自分の中から見ていた。

 モモは、場の成り行きを見つめていた。グレンがモモのパネルにある『魔法アビリティ』が事実かどうか、マーカスに問うていることも夢だと分かった要因だ。

 マーカスがモモに目配せしてくる。

 全てに既視感があった。

 当たり前だ、夢だから次に自分が何をしたのかもよく覚えている。

 ――モモは頭脳を働かせた。

 魔法を使うために必要なのは演算。それも高速さが求められる。理屈はそうであるが、モモがそれを行うのは無意識の条件反射。身体が勝手に行うこと。

 意識するのは、魔法の行使。すなわち対象と場所の指定。

 召喚、と。

 声なき声で呟けば、その場にいた者たちが目を見開いて驚愕する。

 会場中が色鮮やかな風船で埋め尽くされたからだ。

 驚愕の声を聞いてもう一度、魔法を行使する。

 すると風船は残らず全て、一瞬にして消え失せてしまう。

「どうです、これが彼の魔法です」

 マーカスたちがいかにしてこれを生み出したか、開発したか、モモは知らない。けれど魔法が一般的に幻想であることは知っている。

 ウイルスではどうにもならなかった幻想。

 幻想の実現化、といってもモモの使うそれは限られた性能のモノで。それでもこれまで誰も成しえなかった。

 悪魔に魂でも支払ったのかと後世、語り草になるのだが……けれど真相が明らかになることはない。

 モモが使う魔法は俗に『召喚術』などと呼称される代物。

 広く普及はしていないものの、この世界には転送装置というものがある。

 それを人間が単身、外部の力に頼らず物質転送を行う。それを奇跡、あるいは悪魔の所行といわずとしてほかにどう喩えよう。

 そんな代物をモモに付与したマーカス達の顔が頭の中に浮かんでは消え、最後にサラの顔になる。

 お姫さまがモモを見て微笑む。

 なぜか胸が苦しい。

 ……ああどうか、ぼくを捨てないで。

 

「……」

 朧な意識で瞬きすると、すぐ近くにサラの顔があった。吐息が頬をくすぐるそんな距離で、モモは思わず固まる。

 なぜここにサラが、と考えて、そういえば一緒に寝たんだったと思い出す。

 触れるのを躊躇うようなきめ細やかな肌を眺めて浅く息を吸えば、なんだか優しくていい匂いがする。

 嗅いでいるうちにまた、ゆるゆると眠気が襲ってきた。

「おやすみなさい……ひめさま」

 

 

 

 

 

「ねえ、モモ。ひめさまってなに?」

 まさか聞かれていたとは思わず、翌日、うっかり呟いていたらしい自分に頭を抱えたモモである。

 

 

 


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