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 人間に勝利したヒトは、価値観を共有するものだけでくにをつくった。

 それらは隣接している場合もあるがほとんどが離れている。州同士が互いに金を出し合って道を繋ぎ、周囲を整備するなんていうのは稀であり、たいてい州と州の間は野放図だ。 しかも他所の州に出かけるのに、そこへの直行便は地空海は存在しない。必ず間に他の州を経由しなければ辿り着かないように出来ている。

 これは転移装置もまた、例外でない。

 だからヒトは、他所の州へ出かけることはとんでもなく面倒だと思っているから、消極的だ。進んで出かけるものは少ない。

 ではどうやって情報を共有化しているのか。

 それはその面倒臭い遠征をやっている一族がいるからにほかならない。

 バイロン家。

 モモの旅の同行者はその一族に名を連ねる青年だった。

 名をトット・バイロンという。正式にはモモが彼の同行者だ。

「運転慣れた?」

 後ろに傾けた助手席のシートからモモを見上げて訊いてくる。シャツにベスト、パンツというのがお決まりのスタイルだ。寝そべった胸の上にはトレードマークのパナマ帽が乗っている。

 アシュリー・ヘイズから『最果て』行きを命じられたモモだが、当初は一人旅だと思っていた。それなりに下調べなどはしたが、基本はサラのそばだったモモに一人旅は荷が重く、どうしても不安がつきまとう。

 だから同行者としてトットを紹介されたときは、彼がバイロン家のものであることよりも、単純に一人じゃないことに安堵した。

「まあ、それなりには……」

 答えながらモモは計器に目をはしらせる。

 モモが運転しているのは街中を走行する乗用車でなく、いわゆる装甲車だ。かつて人間が使っていた物を複製したもので、本来これに自動走行機能がついているのだが、過去の戦争で地図がいかれてからは機能に制限が掛けられている。

 モモたちの車は現在、延々と荒野を走っている。

 旅に装甲車は当たり前で、それは野生動物と遭遇してもいいようにという配慮からなのだが、これには暗に人間も含まれている。

 現在どれほどの人間が生き残っているか、ヒトは完全に把握していない。

 生息域は『最果て』より東となっているが、それ以外にもひょっとしたら潜んでいるかも知れない。

 ヒトの生息域くにを頑丈な壁で囲うことでヒトは安心を得ている。州と州の間を野放図にするのは、そこに棲みつく人間の生活環境を最低にするという意図もある。

「旅始めてもう……半年は経つ? このポンコツの延命もできたんだからもっと誇っていいんじゃない?」

「延命っていうほど大げさなことしてないですけど」

 エンジンの掛かりが悪くなって、ちょっとボンネットを殴っただけのことだ。殴った手が痛くてとても後悔した。物に当たったのはその時が初めてだ。

 荒れ地の真ん中でエンストしたから、焦っていたのもある。トットは腕組みして神妙に突っ立っているだけだし、どうしていいのか分からなかった。

 もしも車が駄目になってもヒトであるトットはどうにかなるかも知れないが、モモは人間だ。しかも造られた人間は本物の人間からも嫌われていると聞いている。万一、人間と遭遇してもモモは彼らに助けて貰えない。

 そこでふと思いだしたのだ。古い人間の俗説を。

「可愛い顔してやるなあって俺は感心したよ? 黙っていると虫も殺せなさそうな感じなのにさ」

「黙っていても虫は殺せますけど」

「たとえ話だよ?」

「分かってます。……ところで進路このままでいいんですか」

 街中にあるような看板や標識はあたりに一切ない。モモはただトットに言われるまま、車を走らせている。トットの目、もしくは頭の中にははっきり標があるようで「あと十分はそのまままっすぐ」とか何もない所で「右に曲がって」などと指示をくれる。

 最終地点は『最果て』。

 道中、他所の州に立ち寄りつつ旅を続け、半年ほどが経つ。

 トットは外の景色を確かめもせず、

「うん、このままでいいよ」

 旅の最初の頃は彼の指示を怪しく思っていたが、これまでの実績からモモはすっかり信用している。

「三十分ぐらいしたら休憩しようか」

 提案に、モモは計器類を一瞥して頷いた。

 

 

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 旅を始めてひと月ほど経った頃だ。

 立ち寄った州のお洒落なカフェでモモはトットと昼食を採っていた。

「黙ってるのはフェアじゃないと思うから言っとくけど、俺、ライアンとは友だちなんだ」

 さらりと彼は告白してきた。

 モモは具を挟んだパンにかぶりつこうとした姿勢のまま、向かいのトットを見た。彼は何食わぬ顔でパンを咀嚼して、顔をしかめた。パンに腔内の水分をとられたらしく、慌てて飲み物に手を伸ばす。

 ふうとひと息ついて、モモを見た。

「食わないの?」

 固まったままだったモモはしどろもどろに応えて、一口かじる。もさもさと咀嚼しながら、味よりも言われた言葉の方が気になった。

 ……ライアンと友だち?

 霧が晴れるようにというよりむしろ欠けた駆けたピースが嵌まった気分だ。

 自分が理不尽な旅に出るきっかけ、いや元凶が誰なのかモモは悟った。心のどこかでそんな気はしていた。だって彼はアシュリー・ヘイズの息子だ。それにやたらとモモに忠告じみた問いを投げかけてもいた。

 おそらくモモがそれにきちんと答えられなかったからこんなことになった。

 それでも、と思う。

 モモがいかにサラから離れたくないか、ライアンは知っていたはずだ。分かってくれていたと思っていた。ライアンはちょっと変わったところがあるけど、サラやアーヴィング家の面々みたいな『優しいヒト』だと考えていたから。

「怒ってる?」

「怒る? 誰を?」

 首を傾げたモモに、トットが驚いたように眉をひそめた。

「え、怒ってないの?」

「……人間なら怒るのかもしれませんけど、ぼくは違うので。確かに今の告白にはもやっとするものがありましたけど、それだけですよ」

 偽ってない。本心だ。だけど胸がざわざわするのも嘘ではない。

「ああ、そうか。抑制がかかるのか」

 造られたものには枷がついている。

 そもそもの前提として、ヒトを嫌うことなどできない。拒むことも出来ない。なぜならモモたちを造ったのはヒトだから、ただ受け入れる。

 それでいてヒトの感情や思考には敏感でなくてはならない。それにも個体差があり、わざと愚鈍に造られる場合もある。

 そうして主人の感情を読んだとして、できることは限られている。気休めのやすらぎを与えたりして、発散させる。ある程度のパターンと経験則で察しても、それが必ず正答に結びつくとは限らない。決して全ては叶えられないのだ。

 だって造ったのはヒトだから。全てそれに尽きる。

「むかついたから殴ります、とか。そういう発想にはならないのか」

「そんなことしたらぼくの人生は終わりですよ」

 おかしなことを言うと、モモは笑った。

 ヒトに仕えるために生まれてきたのだから、逆らうことや不快にさせることはできない。ありえないことだ。

「なんでも優先するのはあくまでヒト、か」

 独り言のようにトットが呟いた。

 ご主人様はと訊かれたらモモは迷わずサラだと答える。だけど命令系統の上に立つのはヒトだ。そこに齟齬が生じる。サラの願いを叶えたいけれど、現状、モモにとって優先すべきはアシュリー・ヘイズの方にあるから『最果て』行きを断ることはできない。

「トットさんは買ってみたことないんですか?」

「育てるとか愛でるとか趣味じゃないし……何より俺の方が長生きする分かってるから、そういうのはどうもね」

「……吸血種じゃないんですか?」

 吸血種の寿命は『サナギの期間』を含むから長命な印象があるが実はそうでもない。人間よりは長生きをするという程度だ。サナギから目覚めたあとは、容姿が衰えにくいのがイメージを助長している。

 トットは悪戯っぽく笑った。

「そうだけど……教えないよ?」

「吸血種じゃないって分かっただけでも、ぼくはありがたいです。ずっとそうだと思っていたから。念のため訊きますけど、主食は血ですか?」

「違うよ……ああそっか。最初で言っておけばよかったな。悪い。俺のそばでうっかり怪我とかできないって、気を遣わせてたんだな」

 トットが手を挙げて店員を呼ぶ。ここでは昔の人間の街のように、店員に注文を言いつける仕組みだった。紙のメニュー表を見て、さくさく甘い物を注文していく。

 そんなに頼んでどうするのか。流れを見守っていると、訊かれた。

「食えるよな?」

「え?」

「甘い物、嫌いじゃないだろ? 詫びがわりに、な」

 嫌がらせじゃないのは顔を見れば分かる。だが、気持ちは嬉しいが果たして食べきれるだろうか。注文を復唱して去って行く店員の背中を見て、不安が膨らむ。

 運ばれてきたのはカットされていないパイが三皿。しかも大皿だ。

 トットは孫を見守るような顔でにこにこ笑っている。隠し子ならいてもおかしくない出で立ちではあるのだが、息子を眺める顔ではない。

 ……うーん。

 さてどうしたものか。モモは大食いの性質でないし、大の甘党でもない。パイはどれも具がしっかり詰まっていて、甘くかぐわしい匂いを放っている。一つくらい、ミートパイが良かった。

「……いただきます」

 意を決して、モモはカトラリーを手に取った。

 

 

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 それから、トットの言うとおり車を走らせてどれほどが経ったか。

 荒れ地にはっきりと轍の痕跡が現れた。『最果て』へ続く筋道だ。後はそれを辿っていけばいいとトットが寝そべりながら言う。運転するモモはほっとして、少しばかり息を吐いた。

 道は進むほどにくっきりし始めた。やがてそこに州があると知らしめる外壁が、遠く、モモの目にも見えてきた。

 道は壁に沿ってぐるりと廻るように続いていて、大きなゲートの前が終点だった。

 造りから、上下開閉式だとモモはすぐ分かった。立ち寄った他所の州で同じものが使われていたからだ。

 ゲートの外部は無人だが、センサーが訪問者をスキャンし、審査する。

 その際使われる各州共有のデータベース、その元を握っているのがバイロン家だ。ただしこれは周知の事実というか暗黙の了解的なもので、バイロン家は一切公言していない。

 バイロン家は本当に謎の多い一族だ。

 謎の多さ故に、時に架空の存在ではと疑われることもある。

 ……すごいヒト、なんだよなあ。

 モモはこっそり隣を窺う。言われなければ、ちょっと格好に拘りがある青年で済んでしまう。名乗らなければ誰が彼をバイロン家のものだと思うだろう。

『――最終確認を致します』

 女性の声が問いかける。

『来訪者の方々に告げます――心臓を預ける用意はありますか。この問いかけが分からない、または詳細を知りたい場合は端末を介して文書で通知いたします。尚、返答はその場で結構です』

 それまで聞いていたのかも怪しいトットがゆっくり起き上がって、言った。

 

「イエス、だ」

 

 

 

 


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