14


 

 翌朝モモが目覚めると、いつ戻ってきたのか、隣のベッドにトットの姿があった。

 ……うん、寝てる。

 寝息が聞こえるから起こさないようにそろっとベッドから抜け出し、時間を確かめる。キャンディが迎えに来るまでに支度をしようと洗面台の前に立った。

 まず洗顔。鏡で寝癖の度合いを見つつ、肌の具合も確かめる。商品価値を保つ努力は女性の美容とほぼ変わらない。起き抜けに確かめた端末に、トットからのメモがあった。冷蔵庫に買ってきたハムサンドがあるらしい。朝食は持ち込んだ日持ちのするパンをかじるつもりだったが、そちらを優先することにした。

 ハムサンドは特別おいしくもなく、いたって普通の味だった。具材の水気でパンがしなっとしている。それを機械的に食べる。見る人がいないから、おいしそうに食べる必要がない。さいごの一欠片を水で流し込む。

 ……ごちそうさま。

 小さく呟く。聞かせる相手がいないから省略しようと思ったが、慣れというもので自然と口から出てきた。

 歯を磨いて、服を着替える。髪をとかして、おかしいところはないかさっと全身に目を配る。バイロン家仕様の部屋には、洗面台のところにしか鏡がない。だから背中の具合をきちんと確かめられないのだ。首を捻り疲れ、ほどほどでモモは諦めた。

 出かける、とトットに宛ててメモを残し、部屋を出た。

 

 今日のキャンディは、七分丈のパンツに水玉模様のシャツという、昨日と同じように軽装だ。

 宿向かいの建物の外壁に凭れかかり立っていた彼女は、宿から出てきたモモを見つけて勢いよく手を挙げた。

「こっちこっち。おはよ」

「おはよう」

 キャンディは、水色のシャツにチノパン、その上からジレを羽織ったモモの格好をじいっと見て、

「いいとこのお坊ちゃんみたい」

「そうかな?」

「この州にはいないタイプなのは間違いないわね。保証する」

「じゃあ、こういう格好じゃなかったら、あんまりじろじろ見られない?」

「無理ね、顔でわかっちゃう。モモみたいなのはこの州にはいないから」

「ぼくみたいなの?」

「瞳が濁ってない、綺麗だもの」

 モモは首を傾げた。

「よく……分からないな」

「そのうちわかるわ。さあ、行きましょ」

 まるで幼い弟の手を引くように、ごく自然にモモの手を取ってキャンディは歩き出した。明らかに背も身体つきもモモの方が大きいのに、気にしたふうでもなく、彼女は歩く。

 モモは懐かしい記憶を思いだした。

 初めて会ったその日にサラに手を引かれ、邸を歩いた。あの時はモモの方が小さくて、ついていくのに必死だった。

 いつも手は、少しだけ冷たい。その白くて綺麗な指で触れられると嬉しくて、どきどきして、時々切なくなった。

 いつまで触れて貰えるだろう。

 いつ触れられなくなるだろう。

「モモはいつまでここにいるの?」

 問いかけられて、はっとする。

「さあ……ぼくはただの同行者だから……彼の用事が終わったら、かな」

「じゃあ用事さえ済んじゃえば午後からでも帰っちゃうの?」

「そんな逃げるみたいには帰らないよ。でもどうなるかはまだわからないけど」

 これまでの経験上、慌ただしく出立するような無計画なことをトットがしたことはない。

「はっきりしないのね」

「ごめん」

「謝らないでよ、ただの感想なんだから」

「ごめん」

 顔だけ振り返っていたキャンディがくるっと身体ごと捻って、立ち止まった。ぱっと手を離す。

「そうやって、なんでもかんでも謝るの、やめた方がいいよ?」

「あ、はい?」

 急停止からの、いきなり始まった忠告。モモは若干後ろへのけぞりながら返事する。ちょっと困ったな、とモモは思った。

 そう言われても、これは簡単に直せる癖ではない。根っこに染みついている。

 そもそも隠しているが、彼女とモモの立っている場所は違うのだ。

 つるっと口から、ごめんね、と出てきそうになったのをのみ込む。

「うん、気をつけるよ」

 キャンディはモモの顔をじいっと見てから、ため息をついた。不服そうな色を残しながら、背を向ける。

 たまらず、モモは不安に駆られた。

「……キャンディ、怒ってる?」

 吃驚したようにキャンディが振り返った。

「モモ?」

 なぜそんな訝るような視線を向けてくるのか分からなくて、モモは首を傾げる。モモとしては必要だと思ったから訊いただけなのに。

「……モモってなんか犬みたい」

「え?」

 キャンディは戸惑うモモの手をまた引いて、歩き出す。

「怒ってないから、そんな不安そうな顔しないの」

 思ってもみない言葉に、モモは目を瞬く。

 ……ぼく、そんな顔してたの?

 成長して、感情の制御は以前よりもずっとよく出来ていると思っていたし、自信もある。なのに自覚なく負の感情を表に出していたらしい。

 ……キャンディが怒っているかもしれないって思ったから。

 だからそうじゃないと言われて、とてもほっとした。ヒトを不快にさせたかも知れないと思ったら、いても立ってもいられなかった。

 だってモモはヒトをよろこばすために造られた。愛玩物だ。

 現時点、自分がヒトでないことをキャンディに隠して接しているから。演技なんかしようとするものだから、自分の定義がおかしな事になってきっと頭が混乱しているのだ。

 モモは自分のことをそう捉えた。

 だから落ちつけと自分に言い聞かす。

 改めてキャンディに手を引かれて歩くこの状況を、考察する。

 ……ぼくくらいの歳の人間は、女の子に手を引かれたりは……しない?

 そうかといって、いきなり振りほどくのは失礼な気がするし、この状態を嫌だとは思わないからやっぱりこのままでいいかという結論に至る。

「キャンディの家はこのあたりなの?」

 時折現れる看板やらを意識して頭に入れながら、訊ねる。

「ううん、違う。家にいてもつまんないから、南の方こっちまで出てくるんだ」

「一人で?」

「そうよ。あ、今こいつ友だちいないのかって思ったでしょ?」

「思ってないよ」

 キャンディは疑わしそうな目をして、

「あたしだって学校に行けばいるんだから」

「学校? 今日平日だよね」

「自主的にお休みしたの」

「好きじゃないの?」

「そうじゃないけど……あれよ」

「あれ?」

「反抗期」

「ああ」

 頷きながら、モモは頭の中の事典をめくる。反抗期とは、人間からヒトになっても消えず残っている、思春期特有の症状。

 けれどモモにはないものだ。だからここは具体例を参照にしてここはやり過ごすしかない。

「別にね、学校の友だちが嫌いになったとかそんなんじゃないんだよ。でもね、なんか退屈だなあって我慢できなくなっちゃって、一週間ぐらい行ったふりしてさぼってるんだ」

「何か言われたりしないの?」

 キャンディは頭を振る。

「誰も、何も。お母さんとか絶対気付いているはずなのになーんにも言わないの。それもなんかムカつくんだよね……あ、ごめん。ぐちぐち自分のことばっかり」

 ばつの悪い顔で謝るキャンディに、モモは笑ってみせた。

「何でもかんでも謝るなって言ったのはきみだよ」

「……そうでした」

 一本とられたと、キャンディが破顔する。

 それからキャンディは、買い物するならこの店がいいとか、あそこへ行くならこの道を使うべきだとか、宿周辺の事情を地元ならではの視点で教えてくれた。

 お礼にモモも、ここまでの旅で仕入れた話をする。

 宿とは道路を挟んで斜め向かい、建物と建物の狭間にある高低差の緩い階段に二人で並んで座っていた。

「……モモはさ、本物の人間を見てみたいって思う?」

 キャンディが声を潜めて問うた。

 彼女としては秘密めかした誘いにほかならないのだろうが、その瞬間、モモの心臓が跳ね上がった。

 まさか人間じゃないと見抜かれたんだろうか。平静さを装って、訊き返す。

「本物の人間?」

 キャンディは静かに頷き、

「そう、本物の人間。といってもあたし、人間はそれしか見たことないんだけどさ」

 どうやらバレたわけではないらしい。ほっと胸を撫で下ろしつつ、疑問をぶつける。

「人間は『最果てここ』よりずっと東にしかいないはずじゃ……?」

「そうだけど……モモが見たいなら、見せてあげる」

「どういうこと?」

「明日の朝、五時にモモがここへ来てくれたら教えて上げる」

「五時?」

「そう。早いけど、来て。あ、でも一人で来るのよ」

 有無を言わさず一方的に告げ、キャンディは立ち上がった。

「じゃあ、また明日」

「あ……」

 必ず、と約束もできず、立ち去る背中を見送るばかりのモモは、彼女の言葉を胸の中で反芻する。

 ……ほんものの、にんげん。

 その言葉は抗いがたい魅力を持っていた。

 宿に戻ってみるとトットの姿はどこにもなかった。端末を開くと、今晩は帰ってこない旨のメモ書きがあった。どこに出かけたのかは記されていない。書いていないということは詮索無用、言い換えると危ない場所じゃないから心配するなということだと、この旅でモモは学んでいた。

 モモは読んだメモにチェックを入れ、新規ページに明日の予定を書き込んだ。

 出かける、とだけ記した。

 アーヴィング家からメッセージが届いていないか見てみるが、新しいものはない。『最果て』へ着いた日にメッセージを送ったら、ベティから「ちゃんとご飯食べるのよ」と返ってきたのが最後だ。

 

 まだサラは眠っている。

 そのことに素直に喜ぶ自分と焦る自分がいた。

 

 

 

 


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