目覚ましが鳴るのと同時に目が覚めた。
いつもどおり支度を済ませ、モモはキャンディとの待ち合わせ場所に向かった。
白々と明けた空の下、出歩くヒトは見あたらない。宿のフロント係も、出ていこうとするモモを見て、どこに行くのかと声を掛けてきたぐらいだ。
ヒトと待ち合わせているといったら「気をつけて」と少し疑わしそうに釘を刺された。
フロント係は知らないが、モモは人間だから確かに気をつけなくてはならない。
もし誰かに絡まれてちょっと傷を負おうものならすぐ正体に気付かれるだろう。性別等関係なく、本気を出されればモモはヒトに敵わない。
本物の人間はぜひ見てみたいが、大事にするべきは自分の身だ。
モモは夕べから考えていた。
待ち合わせ場所についたらキャンディに話そう。
彼女がどういう反応を示すかは分からない。でも聞くなり襲い掛かってくるという一番最悪な事態にはならないだろうと思っている。
そんなヒトが初対面の者を、贔屓の店へ連れて行くだろうか。
少なくともモモだったら、しない。
待ち合わせ場所に着くなり、欠伸をするキャンディと目が合った。今日もボーイッシュに軽装だ。きっとそれは彼女の譲れないものなのだろう。
「おはよ」
「おはよう。ごめん、待ったよね?」
「来てって言ったのあたしなんだから、先に来てない方がおかしいでしょ。大丈夫、時間通りだから」
キャンディはまた欠伸をした。しながら、言葉を続けた。
「さて、今から移動します」
「ここじゃないの?」
「ううん。詳しいことはそこで説明しようと思ってたんだけど……だめ?」
「いいけど……あのさ。その前に話しておきたいこと、あるんだ」
ただならぬ雰囲気を察したキャンディが眉を顰める。
「畏まって、なに?」
モモは唾を飲んだ。
「黙ってたけど……ぼく、人間なんだ。本物じゃなくて、偽物の方なんだけど」
キャンディがぽかんと口を開ける。じっとモモを見つめたあと、何か探すようにきょろきょろ視線を彷徨わせる。
今度はモモが眉を顰める番だ。
「誰かいるの?」
「こっちが聞きたいわ。だって、そうでしょ? 人間が一人でこんなとこぶらぶら出歩けるわけないもの」
「それはそうなんだけど……そこは事情というか、気をつけてるから」
「事情って?」
「それはちょっと……」
「言えないのに、あたしに打ち明けたの? わざわざ待ち合わせ場所まで来て?」
「お、怒ってる?」
「怒ってないけど……ちょっとあきれてる」
怒っていない、の一言だけでモモはほっとしていた。
「ひと仕事終えたぜ、みたいな顔してるけど、まだ終わってないから。……本当に人間なの?」
モモが頷くと、キャンディは複雑そうな顔でため息をついた。
「ねえ、モモ。打ち明けた途端、あたしが襲いかかるとか考えなかったの」
「そういう可能性も考えたけど、いろいろ考えた結果がこれだから」
「……どういう考察の上でそうなったか気になるけど……そう、あたし信用されてるのね」
キャンディの声には苦いものが混じっている。知らず、連れ回した事への後悔か、それとも別の感情か。
どきどきしながらモモは彼女の言葉を待った。
「……教えてくれて、ありがと」
「あの……黙っててごめん」
「それはモモが謝ることじゃない。そういう大事なことホイホイ初対面で言えちゃうモモだったらあたしきっと、今日、モモのこと誘ってないと思う」
そう言うと、思い悩むようにキャンディがまたため息をつく。
「……もう、見に行くのやめる?」
「え? 行かないの?」
「行きたいの?」
二人して吃驚した顔で見つめあう。
「嫌々ここに来たのかと思ったけど……違うの?」
「違うよ。ぼく、見たいからここへ来たんだ……キャンディに本当のこと言うってのもあったけど。――本当だよ」
言い募ったなら、その勢いに気圧されたようにキャンディがたじろぐ。
「わ、わかったから。じゃあ……行くわよ?」
「うん、よろしく」
歩き出したキャンディの後をモモはついていく。
「歩いて行ける距離なの?」
「行けないこともないけど、そんな面倒なことしないわ」
五分ほど歩いて、キャンディはとある街灯の前で立ち止まった。等間隔に設置されたそれはモモにはどれも同じように見える。
「手、貸して」
よく分からないまま右手を出せば、キャンディが手首を掴んだ。空いてる左手の甲で街灯の支柱を、節をつけて叩く。
ふわっとモモの足裏が浮いた。いや、実際にそうなったわけでない。魔法を自分に使ったときみたいな感覚だ。
「裏技ってやつね」
得意げにキャンディが言い、モモの手首を離した。
指差した先に見覚えのある建物が見える。
「あれは……ゲート? 中央の?」
「そう」
中央ゲートの正面がよく見える位置にモモたちは転移していた。だがその場所は狭い路地の中で、横断する道路との交点を塞ぐように街灯が立っていた。
モモはその街灯を見上げる。
「……転移装置?」
「すみません、企業秘密なので」
にやにやとキャンディが笑う。それは最初の日にモモが言った科白だ。
「わかった、もう訊かないよ」
「そうしてもらえると助かる」
ゲートとモモたちの距離は十メートルほどあった。
キャンディが右手を振ると指輪型端末から現在時刻が浮かびあがる。
「あのね、あと十分ぐらいで人間の村から定期便が来るの」
「人間の村?」
「人間にもいろいろあるみたいでね。どっちかっていうとヒトに友好的な集団が、この州からそう遠くないところに村を作ってそこで暮らしているの。お互い不可侵を約定に、物資援助してるんだ。……で、それがこれから来るの」
「それって、この州のヒトはみんな知っていることなの?」
「そうね。約定の中に、人間から要請があれば外敵の排除に協力するって含んであるくらいにはまあ、友好関係なんじゃないかな。実際向こうがどう思っているかは知らないけど」
「そう。……ところで、その外敵って具体的には? 野生動物?」
「野生動物もなくはないけど……それよりもっとタチの悪い奴」
分からず首を捻るモモに、キャンディが嘲るように言った。
「人間よ」
答えにかぶさるように、ゲートが開いた。装甲車が二台続けて入ってくる。直進した後、モモから見て右へ曲がり、倉庫のような建物の中へと入っていった。
「行くわよ」
「あ、うん」
キャンディはどうすれば見つからないか心得ているようで、先に立って走り出した。ちゃんとモモがついてこられる速さに抑えてくれている。
倉庫の入り口は完全に閉め切られていた。
モモ達は建物の側面に廻った。キャンディ曰く、待っていたらそのうち出てくるから横顔を拝め、という計画らしい。
はたしてちゃんと見えるだろうか。モモの胸は期待と不安でいっぱいだ。
視力はいい方だが、車窓ガラス越しの一瞬で肌の調子まで分かるヒトには到底並べない。正直なところ、少しがっかりしていた。ここに来るまでは、堂々と拝めるものだと思っていたのだ。
でも、近くで見られたとしても、どうしていいか分からない。
一目で彼らはモモを偽物だと見抜くだろうか。
モモを見てなんと言うだろう。いや、何も言わないかもしれない。そのかわり、おぞましいものでも見るみたいな目をして、黙殺するのだ。
……人間と会ったときの対処法も教えてくれたらよかったのにな。
バートリーで色々叩き込まれたけれど、そこだけは入っていない。
「緊張してる?」
声を潜め、キャンディが訊いてくる。モモは小さく頷いた。
「本物のっていうと特別な感じがあるけど、ぱっと見ただけじゃあたしたちと同じだよ」
「うん……」
「でもね、目が違うんだ。うまく言えないけど、自分達は人間ですって主張してるっていうのかな。矜恃とか誇りって言うんだって、母さんが教えてくれたけど……モモは分かる?」
「なんとなく」
「へえ……モモって頭いいのね」
「……そういうことじゃないと思うけど。ただ、ぼくの目じゃあ、ちょっと見たくらいでそこまでは読み取れないと思う」
「あ」
キャンディが今更気付いたらしく、気まずい顔をする。
「ごめん、モモが人間だって忘れてた」
「気にしにないで。全然見えないわけじゃないと思うし」
「装甲車の窓って色加工してあるじゃない」
「でも輪郭は分かるよ?」
「いやいや待って、あなた分かってて黙ってたわね? 気付いてたなら言ってよ」
「……キャンディがなんだか楽しそうだったし、ぼくもこんな近くに本物がいるんだって思ったらそれだけでもう充分な気がしたんだ。本物に会いたいとか、きみに会うまで考えたことなくて……こんなに戸惑うこと、久しぶりなんだ」
言いながら、モモは自分の科白に首を傾げていた。自分でも何を言っているのかよく分かっていない。
一つ間違いないのが、こんなに動揺しているのはきっと、サラがサナギになったとき以来だ。
「全然そんなふうに見えないけど……」
言いながらキャンディがモモの右手を取って、自分の手と握り会わせた。
「指先冷たい……ほんとに緊張してるんだね」
キャンディの丸い指先は確かに温かかった。サラのとはまるで異なる感触を確かめるようにモモは左手を重ねた。微かにキャンディの頬に朱がさすも、気づかない。
鎧戸が巻き上がる音に驚いて、キャンディが手を離した。まるで逃げるみたいな早業にきょとんとするも、聞こえたエンジン音にモモの注意は奪われる。
「……きた」
思わず呟く。
モモにとって幸運なことに、出てきた装甲車の窓は開いていた。ゆっくりと倉庫の出口を通り抜けて行く。
初めてみた人間は、どこかくたびれて見えた。倦んだ瞳で帰路を見据えている。
あれは移動に疲れたとかそんな、その日限りのものではない。
彼らに深く刻みついている、どうしようもなく捨てきれないものに苦しむ瞳だ。でもだからこそ彼らは本物の人間でありつづける。
キャンディは、彼らが友好的と言ったけれど、それは建前だ。
彼らは単に妥協しただけだ。生き延びるための選択をしたのだ。
「モモ?」
「うん、見えたよ。あれが本物なんだね……」
どんなに姿が似ていようと偽物はどうしても本物にはなれないのだと、すとんと天から降りてきたようにモモは理解した。
彼らは本能できっと偽物を見抜く。
だからモモは彼らとは混ざり合えない。相容れない。はじき出される。だけどそれも仕方ない。そういうふうに意図されて作られたのだから。
……なりたいとか、なれるとか思っていたわけじゃないけど。
ぼくはぼくだ。サラのためにある、モモにとって大事なことはそれだけだから。
揺らいだりなんて、しない。
帰りは転移装置を使わずに、歩いた。
他所の州には電車が走っていたりするが、ここにそれはないらしい。キャンディと約束したから推測するのみだが、この州では至る所に転移装置が隠されている。おそらく人間が襲ってきたときのためだ。退避場所と迎撃地点が民にはすり込まれている。
「物資援助って、具体的にはどんなことしてるの?」
「こっちからは主に食糧ね。村にはプラントみたいな安定供給のシステムがないみたいだから。大がかりな装置を作る力が残ってないんだって」
「自給自足が難しいってこと?」
「村を作るときにかき集めた機械も辛うじて維持してる状態だそうだから。建前上、交換って言っているけど、八対二な感じで、こっちから渡しているものの方が多いみたい」
「人間の村は、そこだけ?」
「他にもあるけど、さっきの人間たちのところからは遠いわね……あの村の選択を歓迎しないところもあるみたいだし。どことも交流してない村もあるとか聞いたことある」
「……人間って言っても色々あるんだね」
「そうね。モモがいる間はどうか分からないけど……血気盛んなのが時々やってくるから気をつけて」
「過激派ってやつ?」
「そう。さっきも言ったけど、あいつら同じ人間にも容赦がないから。自分達に協力しないのはみんな敵なんだって。しかも最近変なの増えたし」
「変なの?」
「うん、変なの。魔法みたいなことするらしい」
「――まほう?」
思わずモモの足が止まる。
「魔法使いがいるの?」
「まさか。いるわけないじゃない」
キャンディは笑って否定した。
「そういうふうに見えるってだけの話。魔法使いなんているわけないじゃない。そりゃあ、ヒトの中には変わった力を使うのもいるけど、でもそれは魔法じゃないもの。そういう器官が初めからついてるから、できるってだけで」
魔法というのは、現代においても説明がつかない不思議な力だ。
同じ不思議でも、ヒトのそれは最初から身体に組み込まれている。生来の人間にはないパーツがあるのだ。だけどそれは全てのヒトにはない。そういうパーツがあるヒトだけが、例えば何もないところで火をおこすとか、そういうことが出来る。
「じゃあ、何かヒトに匹敵する、そういうのができる装置を作ったってことかな……?」
「きっとそうね」
キャンディは『変なの』にはあまり興味がないようだった。どう変であろうが、外敵であることに変わりないと考えているからだろう。
だけど実際目にしたら考えは変わるかも知れない。
……魔法みたいってどんな力なんだろう。
気にはなるけれど、簡単に遭遇できるわけでないし、しない方がいいのはもちろん分かっている。
ただ『魔法』がどうしても気になる。
はたしてそれはモモと同じものなのだろうか。