17


 

 それからのモモは、日中、宿に篭もって地図とにらめっこすることで過ごした。

 地図といっても簡易の手書きでなく、座標が入ったものだ。ただ、この数値はあくまで暫定のものである。

 この世界の正確な地図はどこにもない。理由のひとつは、ヒトが己の生活する州にしか関心がないせいだ。

 あとは人工衛星が戦争前に打ち上げられたきりであること。

 新しいものを作れても、打ち上げることが出来ないのだ。人間がかつて、宇宙へ上がろうとしたヒトを迎撃するシステムを放置しているせいだ。その所在地がヒトには分からない。月自体にあるという話があるし、独自に軌道周回している説もある。ともかく、ヒトは未だそれを探し出せていない。

 システムの実在そのものが疑われたが、ためしに小型ロケットを打ち上げたならどこからか攻撃が飛んできて爆砕された。特定した場所に、協力的な竜種が氷の吐息ブレスを叩き込んだが、その彼自身がいずこからかの攻撃で命を散らした。

 それ以来、ヒトはシステムを探すことを諦めた。

 表向きはたった一人のヒトの犠牲だが、実際にはその裏で幾人もの人間が造られた。システムが反応するのは無人の場合に限るのか、そうではないのか、それを確かめるために。時には面白半分で。

 それを非道だと腹を立てたり、散った命を儚む気持ちはモモにはない。全ては過去だし、造られたものは替えが効く、そういうものだ。

 仮にもしモモが死んだとして、サラは悲しむかも知れないがきっと、気に入った次が見つかればモモのことを忘れてしまうだろう。

 ……ぼくがいなくても、きっと、生きていける。

 それは自然のことだと思うのに、考えるとなぜか、病気でもないのに胸が痛む。

 モモはシャツの襟首を摘まんで、そっと隙間から自分の胸を覗いた。

 アーヴィング家の所有印の端が少し掠れたように薄くなっている。消える前に、邸に戻れるだろうか。

 モモは膝を抱えて、そこに顔を埋めた。

 

 

「いつまでですか」

『最果て』へきて、三週間が過ぎようとしている。

 最近のモモは宿に篭もるばかりでもいけないと、たまには周辺をうろついてはみるが、それだけだ。特に変わりばえのない毎日を過ごしていた。

 キャンディとはこの前気まずくなってから、一度も会っていない。いや、会えていない。だって約束をとりつけるのはいつもキャンディの方だった。モモはただそれに応えていただけだった。反抗期で家に居づらい彼女がどこでどうしているか、モモは知らない。連絡先も交換していない。

 偶然が結んだ縁だけれど、努力しなければ簡単に切れてしまうことをモモは改めて識った。だけど、結び直そうとは考えなかった。

 モモにとってのキャンディはそういうものだった。

 そこにいくらか、最後に合った時の気まずさが澱となって胸にわだかまっている。だから余計、探そうとは思わなかった。

 シャツのボタンを留めながら、おやというようにトットが眉をはねあげた。

 秘密主義な彼は、予定のない日はモモと一緒に食事をとる場合もあるが、だいたいはモモのあずかり知らぬ所で何かしている。今まではそれはそれでよかった。訊かない方がいいのだろうと考えて、遠慮していた。

 だけどここに来てもう三週間だ。いい加減、目処くらいは知りたい。

 モモはいつまでこの地にいればいいのだ。

「やっと訊いてきたね」

 信じがたい返答だった。頭を鈍器で殴られたかのような威力があった。

 嘘だろうと、ぶつけた視線をトットは躱さなかった。何食わぬ顔でモモの手から、着替える間に預けた帽子を攫いとった。

「帰りたいなら帰りたいってそう主張しないと。悪いけど、俺はライアンみたいな親切なお兄さんじゃないんだよ。……ま、だからって要求にここで即応するのも無理だけどな」

「そう、ですか」

 結局、言ったところですぐどうにかならないのだ。

 モモは思わずため息をつきそうになって、慌てて唇をひき結んだ。自分のそんな態度に困惑する。どうした、暗い顔をしてはだめだ。そう己を叱咤するも、発端は自分だ。

 どうして「いつまで」なんて口にした。

 どうして我慢できなかった。

 ざわつく胸の内を沈めるように、無意識に印を探して手が胸元を滑る。

「……おまえは真面目すぎる」

 トットが大仰にため息をついた。

「いきなり……なんですか」

「あのなあ、俺は、おまえが少し主張したくらいでいちいち腹を立てたりしない。俺が言うことじゃないけれど、きっとライアンも……そうだなお前が世話になってるアーヴィングのヒトもそうだろう。お嬢さんもな。だからおまえはもっと、人間らしくとか狭い生き方じゃなくて、おまえらしくしていろ」

 言葉がモモの頭の中でぐるぐる舞う。脳に溶け込もうとしない。

 息苦しくなって、モモは顔をしかめた。

「……分からない。あなたも、ライアンみたいな難しいこと言う」

「特別難しい言葉は使ってないぞ。おまえの身体が受け付けないだけだ」

 それこそ意味が分からなかった。

 トットはふっと短く吐息を漏らし、一度は手に取った帽子をモモの頭に被せた。そうして華奢な双肩を掴む。

 反射的にモモは正面の彼を見上げた。

 視線が、モモの内側までを覗き込むような瞳とぶつかる。

 捕らわれてしまったみたいに、目がそらせない。

「分かりやすく言ってやろう。植え付けられた定義によってお前は生かされている。だから根幹が揺らぐことに怯える、本能的に回避しようとする。だってそれはある種、死だ。終わりだ。だけどモモ、お前はお前だ。モモという個なんだ。俺たちはそれを知っている。大丈夫だ、だから……」

 だけど続きをトットは言わなかった。

 言ってしまえば、命令になってしまうからだ。

 半ば恐慌状態のモモは、普段であればそのことに気付いただろうが、ただひゅうひゅうと喘ぐのみだった。

 かつてライアンが言った、考えろと。

 ……頭……おもい。

 自分の中には触れてはいけない箱がある。

 モモにとって、考える、ということはその蓋をあけることだった。しかし触れることが出来ないのだから開ける以前の問題だ。

 手を伸ばそうとすると、箱は遠ざかる。

 思考の誘導だ。余計なことは考えるなと、すり込まれた防御機構が発動する。

 思案顔でモモを見つめるトットの瞳が怪しく揺らめいた。

「――モモ」

 名を呼ばれた瞬間、ふっと現実に引き戻されたように、頭の中が軽くなった。その理由を、トットが自分の頭にのっていた帽子を回収したからだと、モモは考えた。

 なぜか全力疾走した後のように心臓が跳ね、呼吸が上がっている。

 モモは首を傾げた。

 ……なにを話していたんだっけ?

 なぜどうしてこんなに疲弊しているのだろう。

 だけど疑問は、抱いたことすら数秒後に頭の中から消え去ってしまう。生存本能による都合のいい記憶の擦り合わせだ。

 帽子を被り直しながらトットがとんでもないことをさらっと言った。

「……過去の記録から言うと、今日か明日ぐらいに人間が襲ってくる」

 冗談を言っている顔ではない。

「それを見届けたら、帰るつもりだ」

「見届けたらって……」

「近頃はあっちも毛色の違う戦力が投入してきているみたいだからな」

 キャンディの言葉がモモの頭の中で再生される。

 ――『魔法みたいなこと』をする人間がいるらしい。

 ヒトの世のデーターベースたるバイロン家としては、その情報を見過ごすわけにはいかないのだろう。

「……気になる?」

「え?」

 探るような視線を向けられる。

 咄嗟にモモは、己の秘密をトットに話したことがあっただろうかと考えた。

 魔法が使えることは限られたヒト、製造元のバートリーを除けば、サラとその両親しか知らないはずだ。ライアンにはまだ教えていない。少なくともモモの口から伝えた記憶はない。サラが秘密にしておきましょうと言ったからだ。

 それとも気付かず、どこかで披露していたか。

 ……わからないや。

 迂闊なことは口に出来ず、トットが先に何か言ってくれるのを待つ。

 トットがふっと息を吐くように笑った。

「巻き込まれると面倒だからな、モモ、今日と明日は部屋でじっとしていろ」

 人間が襲ってくるかもしれないのに、彼の背中に気負いは感じられない。

 黙って見送ることも出来ず「気をつけて」と声を掛ける。

 トットは振り返って「またな」と言った。おかしな返事だ。どこかで落ち合う約束をしたわけでもないのに。

 一人になったモモは、何をしようか考えて窓辺に向かった。とっくに朝食時も過ぎているのに空は曇っている。予報では一日曇りと言っているけれど微妙だなと、瞼の裏に焼き付けた灰色を思いながらモモはカーテンを閉めた。

 

 

 

 


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