18


 

 ドンっと音がして、モモはうたた寝から目を覚ました。ソファーの上から窓辺へと移動する。

 すぐに思いついた可能性が人間の襲撃だった。だから窓より身を低くして移動した。

 重い、腹の底まで響くような音だった。かすかにこの部屋も揺れた気がする。場所は心よりそう遠くないのか、衝撃の大きさのせいだろう。

 そろりとカーテンの端をめくりあげる。

 遠景に、煙が上がっているのが見えた。

 頭の中で地図が立ち上がる。

 けたたましく、そして耳障りなサイレンが部屋の中に鳴り渡った。

 そこでモモの記憶は一度途絶えた。

 気がつくと何故か屋外を走っている。

 モモは混乱した。トットに忠告もされたし、だからおとなしく部屋に篭もっていたというのになぜか外にいる。

 ……ここ、どこっ?

 風景と記憶の一致を急かす。

 部屋の窓から見たときより煙の線がはっきりして見える。そっちの方から発砲音らしきものも聞こえる。聞こえるということは、安全圏ではないということだ。過激派と呼ばれる人間たちが襲来したのだ。

 なのに、どう考えても、いくら考えても、モモの足は交戦地点に向かおうとしている。

 どうして?

 宿に戻るべきだと思うのに、足は止まらない。だんだん記憶の地図が一致してきて、煙が上がっているのが東の方角だと気付く。

 州を取り囲む壁面にはおそらく自動の迎撃システムがついているだろうし、トットの言葉を鑑みれば、ヒトは人間がやって来る場所までをもきっと、予測している。

 そんな迎撃対策万全のところへ何の役にも立たないモモが行くのはよろしくない。盲点を突くというか、鉄壁に穴を開けるようなもの、つまり邪魔でしかない。

 でもモモの足は止まらない。

 自分の身体が自分でないような、ふわふわとどこか浮き足だっている。

 ドンっという衝撃音とともに地面が揺れ、さすがに足が止まる。踏みとどまる。周囲の建物も揺れた。

「モモ!」

 後ろから誰かに呼ばれた。振り向いて、思いがけない人物の登場にモモは単純に驚いた。

「……キャンディ、どうして」

「それはあたしが言いたい。あなた、ここで何してるの?」

 詰問口調にモモはたじろいだ。

「なにってそれは……」

 言葉に詰まって、煙のあがる方を見る。それでキャンディは察しがついたようだ。

「ばかじゃないの、危ないだけよ」

「そうなんだけど」

 いかなくちゃと思うのが本当に自分の意志なのか、モモには自信がなかった。そのくせ、宿に戻ることへ強い不安を覚える。

「キャンディはどうしてここに?」

「それは」

 彼女もまた言いよどみ、目を逸らした。

 また地面が揺れる。さっきよりは場所が離れたのか、少しだけ軽い。けれど揺れた建物からぱらぱらと細かな破片が剥がれた。

 キャンディが舌打ちして、モモはびくりと肩を震わす。

「行くわよ」

「え?」

 キャンディは戸惑うモモの手を掴むと、苛々した態度を隠しもせず、むき出しで言いつけた。

「口、閉じてて」

 ぐんと腕を引かれる。そのままキャンディが駆けだした。つんのめるようにしてモモも走る。キャンディの足が加速する。

 モモの足が地面から浮いた。

 ふわりとどこからか吹いてきた風が足下からモモをすくい上げた。モモは自分のことばかり気を取られていたが、よく見ると二人して宙に浮いていた。

 耳元でごうっと風が吹き抜ける。

 風の上を滑るようにして、身体が前へと移動する。

 飛んでいるのだと気付いて驚きの声をあげそうになり、はっとキャンディの言葉を思いだして飲み込んだ。

 一度だけ、彼女が視線をモモに向けた。だけど目が合う前に逸らされた。それでもキャンディはモモの手を悪戯に離すようなことはしなかった。

 短い時間で、モモは初めてキャンディに合った日のことを思いだした。

 どうしてあの時彼女が上から降ってきたのかようやく分かった。アシュリー・ヘイズの霧のように、キャンディには空を飛ぶ、もしくは風を操る力があるのだろう。あの日もきっとこんなふうに飛んでいたのだ。あの日はどうだったか知らないが、今は低空飛行だ。建物の屋根より低いところを飛んでいる。

 煙の輪郭がだんだん、より濃く、はっきりとしてきた。

 巨大な鉄塊が地面にぶつかったような音に反応して、キャンディが静止する。

 建物と建物の間を縫うように飛行してきたが、正面はちょうど行き止まりだった。音の感じからすると、目の前の建物を越えた先の先くらいで何か起こっている雰囲気だ。

 身体を包む風が弱まる。先にキャンディが着地して、モモの身体を地面に引き寄せた。

「……それがきみの力?」

「企業秘密」

 むすっとキャンディが答える。

 分かった、と答えたモモの声は、轟音にかき消された。

 正面から喰らった衝撃は指先に痺れとなって残る。建物の壁が膨らんでいた。キャンディがいなかったら、モモは後ろにひっくり返っていたかも知れない。

 耳鳴りが気持ち悪くて、モモは歯噛みした。

 建物は膨らんだわけでなくて、へこんだ分が後ろに出たのだと分かったのは、次の轟音で大穴が開いたからだった。

 ヒトの反応速度で先に異変に気付いたキャンディがモモの手を引いて、真上に飛び上がった。

 その直後に建物に穴が開いた。

 モモ達がいたはずだった場所を、建物だった塊が通過していく。はじけ飛んだものが周辺の建物へと突き刺さる。

 ぞっとしながら、モモは視線を下へ向けた。

 少し先を見れば、走って行くには遠いが州を囲う壁が見えた。そこにも穴が開いている。モモの目からは壁から突き出した銃口までは見通せないが、それらの一部はまるで成形途中の飴を捻ったようにあらぬ方向を向いていた。その周辺には血を流し倒れる姿が何人か見える。もしも服装が同じだったら、容易に見分けることは出来ないだろう。

 倒れている多くは、おそらく人間だった。もちろん、本物じゃない方だ。

 だがそれも、今のモモには分からないことだった。

 モモは視線を壁から足下の方へ引き戻した。

 穴の開いた建物の前に、少年が一人で立っていた。

 物珍しそうに宙に浮くモモ達を見上げ、口笛を鳴らす。その両手に武器は握られておらず、やたらポケットの付いたベストを身につけ、軍靴を履いていた。

 歳は、モモやキャンディたちと変わらないくらいに見える。

 少年はモモ達を指さし、何か言った。

「やってもいい?」

 とりまく風の音も相まって、モモには聞きとれなかった。

 どこかにいる指揮官に向けての問いかけだった。

 聞こえていたキャンディが「逃げなきゃ」と早口で呟いた。だがそれより先に衝撃が来た。

 目に見えない重い衝撃が無残に風を散らす。動揺したキャンディがモモの手を放した。

「あっ」

 モモの身体を押し上げていた風が消える。落下するモモに慌てて手を伸ばそうとしたキャンディを二度目の衝撃が襲った。

 直撃した身体がふらりと傾ぐのを、モモは落ちながら見た。

 頭が勝手に計算を始める。行き先はさっき偶然出会った場所に指定した。座標が少々適当でも通用するのが魔法と転送装置の違いだろうとこの頃モモは考えるようになったが、真実はモモが慣れて無意識のうちにショートカットしているだけのことだった。

 一瞬で周囲の景色が変わる。

「キャンディ」

 横たわる彼女に呼びかける。小さくうめき声を洩らした。だからといって安堵はできない。

 ……気を失っているだけならいいんだけど。

 服の上から分かる外傷は見あたらない。だが内臓が傷ついているかもしれない。

 モモは無意識のうちに唇を噛んだ。キャンディをどこか安全な場所へ移動させなくてはと焦る。

 病院が一番なのは分かっていたが、すぐに脳裏に過ぎったのはメアリー・ブレイザーの顔だった。一度だけ招かれたあの家を思い浮かべる。

 キャンディを物のように扱う気はないが、選んでいる場合ではないと座標を設定する。

「じゃあね、キャンディ」

 ふっと目の前から彼女の姿が消える。

 きっとキャンディは大丈夫だ。

 そう念じて、モモは立ち上がった。

 戻るために。

 自分でも愚かなことだと思う。逃げてきた場所に戻るなんてどうかしていると思う。死んだらサラに会えないのに、そうだと知っていながら、なぜか抗えない。

 もう一度、あの少年と会いたかった。

 彼が魔法使いかどうか知りたかった。

 だが果たして、そうまでして、知るべき事なのだろうか。

 彼が魔法使いであるかどうかなんて。

 でももし同じだったら……、それは特別なことだ。自分以外にも、魔法が使える人間がいるというのは。だってもともと人間は魔法が使えなかった。枝分かれしたヒトもまた、魔法使いはいない。

 モモの魔法は偶然の産物だ。

 でももし少年が魔法使いなら……。

 同じことができる、共通項があるというのは、未だ新たな弟妹が生まれないモモにとっては、特別な存在だった。

 単純に言えば、モモは同類に飢えていた。だから可能性に、心が惹かれる。

 

 とにかく会って、話がしたいと思った。

 

 

 

 


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