[Side:H]
サラとモモ。
父親に連れられ初めて訪れたアーヴィング邸で、ライアンはこの二人と出会った。
会食に人間が混じることは聞いていたが、想像以上の美少年でライアンは僅かに目を瞠る。
……これは……なかなか高いんじゃないか?
父親の仕事上、付き合いから時々、家に愛玩用の人間カタログが送られてくる。
幼いながらライアンはそれを眺めるのが好きだった。
一見しただけでは分からない、自分達ヒトとは似て非なる生き物。
だから『人間』に興味があるのか、ライアン自身にも未だよく分かっていない。この気持ちを上手く説明できない、というのがいちばん近い答えだろうと思う。
愛玩用をヒトは『お人形』と呼んだりもする。主人のそばで黙ってじっと控えている、何をされても抗わない。その姿が人形と変わらないからだ。また、そういう嗜好に特化したものほど作り物のように整った容姿容貌をしている。
実際ライアンは、そうした人形を連れ回すヒトを知っている。彼らの多くはお気に入りの人形を見せびらかす傾向にある。
人形の噂どおりの従順さに感心するも、でも彼らを自分のそばに置きたいとはライアンは思えなかった。常に侍らせ、行く先々へ連れ回すヒトの気持ちもあまり理解できない。
ならば部屋の中で可愛がるぶんにはどうかといわれたら、それもよくわからない。
――おまえも一度、買ってみたら分かるさ。
そう言われて気軽に手を出せる値段だったらよかったが、それなりの敷居が設けられている。
たとえ機械任せであっても、生命を育むのは易くないからだ。
主人の手からクッキーを食べ、頬を染める少年。その図は一見微笑ましくあり、だが周囲を拒む閉鎖的な空気感が二人を取り巻いているのも事実だった。
それを意図して作っているのはサラだ。
部屋を出ていこうとする二人に、ライアンは声を掛けずにはいられなかった。案の定、振り返ったサラから冷ややかな一瞥を食らう。ライアンは己の好奇心を満たすために、怯まず、ぐっと耐えた。
おかげで、友人というポジションを手に入れた。
ただ友人と思っているのはライアンだけで、サラはどうせ父親の友人の息子くらいの認識だろう。
モモに至っては、サラの客人だと思っているに違いない。だがそれは仕方ない部分がある。モモには自分から友人を築くとか、そういう発想がまずない。そも、そうした立場に自分がいると思っていない。
当人がそうだと思っている内は、ライアンはモモとは本当の友人にはなれない。
時間を重ねれば解決するだろうか。
好奇心を越えた探究心がライアンをモモの元へ向かわせた。
モモという人間の少年はライアンがこれまで見たどの人形よりも、俗な表現をすれば、生っぽかった。
それでいて人形であることに忠実であろうとする、矛盾をはらんだ生き物だった。
口を開けば『サラさま』である。
主人に誉められれば頬に赤みが差し、ヘマをやらかしたと思ったなら両肩が下がる。
もしや犬の生まれ変わりかと思うくらい、ライアンはモモに耳と尻尾が生えている幻を何度も見た。
「モモをどうするつもりだ」
あるとき、モモが用事で呼ばれ部屋から出て行った隙に、サラに問うてみた。
彼女はライアンがモモと喋っている間はいつも、同じ空間にいるものの、割り込むことなくずっと静かに読書している。
まるでそばにいられる限りはそこにいるとでもいうように、必ず同じモモが目に入る距離にいる……それも彼女が職に就いてからは難しくなったが。
「どうするって?」
タブレットから目を離したサラが、怪訝そうにライアンを見る。
「いつまでも一緒という訳にもいかないだろう?」
お人形遊びが許されるのも、限りがある。
金持ちの道楽と言い切ってしまえばそれまでだが、誰も彼もがそれで納得してはくれない。
サラはアーヴィング家の一人娘だ。血を繋ぐため、この先婿を取ることもあるだろう。その彼がモモの存在を認めるとは限らない。なにせ、人形だが、モモは男だ。
サラは一瞬鼻白んだ顔をして、それから薄く笑った。
「どうしてわたしがあの子を手放すと思うの?」
それは決してモモの前では見せたことなどないだろう、傲慢な女王の顔で言い切った。
「あなたなりの忠告なんでしょうけれどまあ……ありがたく受け取っておきますけれど、でも余計なお世話だわ。あの子はわたしのものなの、絶対手放したりしないわ」
「だけど……『サナギ』の間はどうする」
「……モモはそばにいるわ。他所へなんか、やらない」
決意を秘めた声で言う。それから強い眼差しをライアンにぶつけた。
「余計なことをあの子に吹き込まないでちょうだい」
人形は主人の言葉に忠実だ、またそうであろうとする。
だからサラはそれを利用して、モモを縛るのだろう。モモはそれを厭わないから。モモはサラのことが好きだから。
きっとモモは、それを職務的な感情と捉えている。
だけどライアンは思うのだ。モモがサラに抱いているのはそんなものではない、恋愛的な好意だと。
知識として恋愛は識っていても、自分自身が恋愛する発想が端からモモにはない。だって彼は人形だ、愛玩用の人形だ。ヒトに愛でられるために作られた、だから愛されようと努め、愛情を受けるための振る舞いをする。
だから初めてサラとモモを見たとき、ライアンは驚いたのだ。
二人が醸し出す空気は単に主従のそれではない。
見ている側が甘酸っぱくなるような、一朝一夕では築けない深い絆を見せつけられた思いがしたのだ。
「そうやって目が覚めるまでずっと見つめているつもり?」
余計なことをするなとサラに釘を刺されたにもかかわらず、ライアンは言ってしまった。
言わずにはいられなかった。
昏々と眠るサラのそばで、その手を取って、寝顔を見つめるモモを見たら。
モモに自覚して欲しかった。モモがサラに抱く気持ちは、単に義務に駆られたものだけでないことを識って欲しかった。
ずっとそんな気持ちがライアンの中でくすぶっていて、それを父親に零した日もあった。
「……どうにかできないかな」
「どうした」
「ん……アーヴィングのサラとモモだよ」
「グレンとこのがどうした」
「どうしたってほどのことじゃなくて、勝手に思い悩んでるだけなんだけど……」
ライアンの話を聞いたアシュリーは一言「お節介だな」と切り捨てた。
言われずとも、重々承知している。
「わかってるよ」
「でも、放っておけないくらい、好きなんだな」
「そう、だね。……そうやって口にされると恥ずかしいな」
「……ライアン」
「なに?」
「モモに自覚させるのはおそらく難しいぞ。グレンの娘……サラが傍にいる間は特に。あの子はモモの支配者だ。もしお前が本気なら、チャンスはあの子がサナギの時だろうな」
この父親の言葉を思いだしたのは、既にサラがサナギになってモモに問いかけた後だった。
時限式の呪いが発動したような、後味の悪さがライアンに残った。それに拍車を掛けたのが、モモの『最果て』行きだった。
ライアンは、モモをサラから引き離したかったわけではない。
初めて会った時の、美少女と紅顔の美少年が手を握って歩く姿は今もライアンの目に焼き付いている。なんてお似合いの二人だろうと息をのみ、サラが差し出したクッキーを最初はおずおずと、次第に慣れたように口にするモモに呆気にとられたこともよく覚えている。
二人にはずっと一緒でいて欲しいと思っているのだ。
そのために、モモに自覚して欲しかった。
造ったとか造られたとか関係なく、二人は一緒であるべきだと思うから。
「父さん!」
「どうしたライアン」
血相を変え怒鳴り込んできた息子に、アシュリーは仕事用のタブレットから顔をあげた。いつになく怒っている様子の息子に、はて俺は何かしただろうかと考える。
「どうしてモモを『最果て』なんかにやるんだよ」
……なんだ、そのことか。
合点がいった。アシュリーは小さく息を吐く。
「なんか、じゃない。『最果て』は需要拠点だし、ちゃんと同行者も付けた」
「そういうことじゃなくて、」
「だっておまえ、モモに自覚させるいいチャンスじゃないか。環境毎変えるぐらいの刺激でもないと、なかなか彼らの価値観は変わらないぞ」
価値観の揺らぎに耐えられるかどうかという問題もあるのだが、今重要なのはそこではない。だからアシュリーはそこについては口を噤む。。
造られた彼らは、ヒトに仕えることが生命の根幹である。それがもし崩壊してしまったら、彼らはどうなるだろう。そうなった例を見たことがないアシュリーは、迂闊なことを息子には言えなかった。
一つはっきりしているのは、駄目になった商品は廃棄されるという現実だ。
当然、人間にも当てはまる。
気付いているか分からないが、ライアンの希望はただのエゴだ。
物語の恋人同士のような幸せな二人が見たい。淡い幻想を望むが故の、お節介だ。お節介ほど厄介なものはない。
大団円ならよいが、悲劇には目も当てられない。
ライアンは難しい顔で黙っている。
「同行者はお前も知ってるやつだ」
「誰?」
「トット・バイロン」
彼は竜種だ。
よく知る友人の名に、息子の不安が僅かばかり緩んだのをアシュリーは見逃さなかった。
竜種は稀少であることを引き換えにか、強力な力を持っている。よく知られているのは、吐息だ。あとは竜という巨体への変身。だがそれ以外の力もある。
言葉に強制力を持たせる『言霊』だ。
バイロン家は特にこの力に長けている。使いどころを弁えているというべきか。
非力なモモにはもってこいの、旅の同行者だろう。
実際には、モモの方がトットの同行者であることは息子には伏せた。
『最果て』の方で人間が魔法を使うという情報が流れてきたとき、アシュリーは以前グレンから聞いたことを思いだした。
結局披露しては貰えなかったが、モモは魔法が使えるらしい、と。
トットは『霧の州』を拠点とするかわり、他所へ出かける際には必ずアシュリーに報告へ来る。
「ちょうどいい」とアシュリーは思った。
『最果て』のことも気になるし、モモの実力も識りたい。ひょっとすると息子の願いも叶う……かも知れない。
だからトットに、一人連れて行って欲しい人間がいると頼んだ。
「人間?」
「そう、人間。素直な子だから、邪魔にはならないと思う。しかも魔法が使えるらしいから」
「魔法? 人間が?」
「らしい。グレンが実際に見てる」
「それは……」
「あいつが嘘つくようには思えないだろ」
「……そうですね」
案の定、トットは食いついた。
だが彼は、州のあるじたるアシュリーの依頼より、ライアンとの友情を優先した。
街を出た後しばらくして、やっぱり黙っているのはフェアじゃないとライアンに全て打ち明けたらしい。
アシュリーは初めて息子に殴られた。
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……痛い。
だけど、だから涙が出るわけじゃない。
ライアンはモモを抱きしめた。
自分を殴った後、はっとしたように青ざめ、拳を震わせたモモをきつく抱きしめた。咎める気がないことが伝わるように。ぎゅっと、強く。
「おかえり、モモ」
言い訳ならいくらでもしたい。だけど何を言っても結局、自己弁護に過ぎないと思うから言えなかった。
ごめん、と言ったらきっとモモは簡単にライアンを赦すだろう。
それも嫌だった。
ずっと、モモとは友だちになりたかった。
殴られて喜んでいる自分には笑うしかない。
「……ライアン、苦しい」
「わざとそうしてる」
「嘘でしょ……」
呆れたようなモモの声。
嘘じゃないよと、腕の力を込めたら、ばしばし背中を叩かれた。だから腕の力を緩めてやると諦めたようなため息の後、モモがライアンの目を見て言った。
「ねえ、ライアン。あの時は言えなかったけど、今は言えるよ。サラさまが目覚めるときに、ぼくはそばにいたい」
「うん」
「ぼくがそうしたいって思ってる」
モモの瞳に迷いはない。
「……ちゃんと考えたんだな」
「考えたというか……上手く言えないけど、わかったんだよ。だから、これがぼくの気持ち」
「そっか。モモが胸張って言うのなら、もう何にも言わないよ」
収まるところに全てが収まった、とは思わない。
ライアンがしたことはお節介以外の何物でもないし、モモは自分の意志の片鱗に気がついたに過ぎない。
サラはまだ眠っている。
きっと彼女が目覚めたとき、モモの意識もまた、変化するだろう。
それがよいものだとライアンは信じている。
だからもう、余計な手出しはしない。そばで二人を見守ろう。
そう胸に強く誓った。