[Side:S 1/3]
――どうして?
サラの頭のなかは近頃そればっかりだ。
塞ぎ込む娘を心配したのか、父・グレンが品評会へ行こうと誘ってきた。
……品評会?
サラは眉を顰めた。
心配してくれるのは嬉しいが、よりによってなぜそれなのか。
品評会は簡単に言うと、一日限定の見世物小屋だ。檻の外から各社ご自慢の人間を見て廻る。サラはまだ行ったことはないが、同級生なんかの話が聞こえてきたところによればそれはもう、色々いるのだそうだ。気に入ればその場で買うこともできる。
そういうものなのかと思いこそすれ、行ってみたいとは少しも思わなかった。
「どうだ、サラ」
父親が返事を待っている。
サラは考えた。
行きたくない。そう言ったらグレンはきっと無理強いしないだろう。
「……一晩考えさせて」
「分かった」
グレンは特にがっかりした顔はしなかった。
サラはこっそりため息をついた。
家族だから見慣れているが、父親の顔はお世辞にも優しくはない。決して怒っているわけではないのだが、いつも難しい顔をしている。それが余計に他者の誤解を招くわけだが、実際のグレンは家族想いの優しい父親だ。
だからこそ彼の妻でありサラの母親・ベティがのほほんとやっていられるのだ。
いや、俗な言い方をすればグレンはベティにベタ惚れだから、彼女の好きにやらせているともいえる。
碌な家事も出来ないことを彼女は滅多なことでもないかぎり恥じたりない。ちょっと困ったように微笑んで、代わりにやってくれる使用人やアンに「ありがとう」と言っておしまいだ。
一般的な母親像と自分の母親は違う。
それを求めてはいけないと気付いたのは五歳の時、パンケーキを作ってと母親にせがんだときだ。
「お母さん作って」
分かったわ待っててね、とベティは気安く答えた。でもキッチンにはきちゃだめよ、と続ける。
「どうして?」
「どうしても。約束よ」
結論から言うと、サラはパンケーキを食べられなかった。
ベティが、固唾を飲んで見守っていた料理長に蒼白な顔で「お願いですからやめてください」懇願されて、キッチンから追い出されたからだ。
日頃笑顔の母親がその時ばかりは泣いていた。己の無力さを嘆き、肩を落とした後ろ姿にサラは子どもながら声を掛けるのを躊躇った。
何てことだ、作ってなんてせがまなければ良かった。
こんな弱々しい母親の姿なんて見たくなかった。
……わたしが間違ってんだ。
以来、サラはベティに一般的な母親の姿を求めるのは諦めた。彼女は彼女らしくいてくれたらそれでいい。
父もきっとそう思っているから、母にあれこれ言わないのだ。
そんな優しい二人を近頃困らせている自覚がサラにはあった。
サラは最近、学校に行っていない。
哲学者に弟子入りしたわけではないが、ある日湧いてきた『どうして?』のせいで、身動きがとれなくなってしまったのだ。
父から品評会の話をされた夜、サラはベッドの中で考えた。
――行くのか、行かないのか。
後ろ向きな答えを言って、大好きな家族を煩わせたくはない。けれど、どうしても行きたいとも思わない。
理由は一つ。
ヒトと人間。
サラの『どうして?』の根幹がそれだからだ。
グレンとともに訪れた品評会はなかなかに盛況らしかった。
会場のロビーでは、これから中を見て回る客と見終わって企業と契約交わす客とが混然としていた。ざっと見回しても見つかるのは成人ばかりで、サラのような十代そこそこの子どもはいたとしてもその傍らには親と思しき姿がある。おそらく子どもに愛玩用を求めにきたクチだろう。
グレンがどういう意図でサラを誘ったか、まだ訊いていなかった。
今のところサラは愛玩用を欲していないし、過去にそんな話を両親としてもいない。グレンもきっとそれは理解している。
だからこそ、父の意図が読めない。
ひょっとしたら難しく考える必要はないのかもしれない。単に娘の気晴らしになるのではと考えただけかも知れない。
そう考えたからこそ、サラは「品評会へ行く」と父に返事をした。
まだ見たことのない景色は、サラの煮詰まった思考に何か刺激を与えてくれるかもしれないから。
動物園というものをサラは過去の映像でしか識らない。
まだヒトがいなかった頃は世界のあちらこちらにそういった施設があったらしい。けれどヒトが世を支配するようになってからそうした施設は廃れ、なくなった。それは心の余裕がヒトにないことをあらわれであった。
人間との争いでヒトは疲れていた。
生活圏を高い壁で囲って、敵になりうるモノは全て外へ追い出してしまった。
けれどヒトは、その多くである吸血種のヒトにとっては、ヒトだけで生活することは難しかった。
人間は自分達の敵であるけれど、大切な糧である。
だからヒトは自分達に都合の良い人間を作ることに尽力した。
血液だけを作ることもしたが、人工血液より人間そのものにある血液の方が美味だという声が大きく、研究は加速していく。
言うなれば人工血液はただの甘味水で、人間から採れる体液は果汁百パーセントのジュースだ。味の違いは言うまでもない。
それでも人工血液の方も工夫と改良の結果、だいぶ本物に近づいたと言われている。
そこへきて昨今では錠剤が登場した。血を啜る姿が下品だとか、そういうニーズに応える形で誕生した。サラも日頃これの世話になっている。
……まるで動物園みたい。
サラは会場を見渡してなんとも言えずため息をついた。
通路の両脇は格子で仕切られ、中の人間は首からパネルカードをぶら下げている。パネルには商品説明と各社の売り文句が並んでいる。
展示品はそれはもう、色々種類に富んでいた。
五歳ほど子どもが十名ほど押し込まれた檻があるかと思えば、あーとかうーとか呻くだけの成人が一人座り込んでいる檻がある。にこにこ笑顔を浮かべて、こちらを見つめているモノもいる。
色々いるけれど、自分のこれからに悲嘆し泣きわめくようなモノは見あたらない。
彼らの目はただ檻の向こう、ヒトを向いていた。
それに気付いてサラはぞくりと寒気がした。
……どっちが見世物なのかしら。
彼らは自分自身の価値を識ったうえで、自分達の買い手になる存在を値踏みしているのだ。自ら選ぶことはできないというのに。
いや、選ぶことができないからこそ、この一時だけ夢見るのかもしれない。
彼らが長生きできるかどうかは買い手次第だから。
サラは同級生の自慢話を思いだした。
親から誕生祝いに買って貰った人間の血をその日のうちに吸い尽くして、とても美味かったのだと熱っぽく語った彼女。
親が買ってきた愛玩用の顛末を武勇伝として語った彼。
サラの中の嫌な記憶が刺激され、酸っぱいものが込み上げてきた。
吸血種は本能で人間の狩り方を識っている。
大昔と違って、人間がそこらに存在するわけでないから、ヒトの親は子どもが二歳か三歳になったあたりで手頃の人間を買ってきて我が子に与える。餌だと分かるように、ちょっと傷を入れて子どもの前に置くのだ。
そうして本能を刺激し、人間の味を覚えさせる。
裕福な家だと毎日与えるが、大体の家庭では人工血液の方が安価なので人間は特別なときだけなどと食す機会は減っていく。ただし偏食の子どもの場合もいるから、その限りではない。
サラは、多くの子がそうであるように最初の人間の味は覚えていない。
でも最後に噛んだ人間の血の味は良く覚えている。だけどそれを思い出すと必ず言いようのない不安に襲われる。
それこそ『どうして?』の始まりだった。
何の抵抗もなくサラに血を吸われて死んでいった彼女。
去年の誕生日も同じ事をしたのに、初めてサラは疑問を持った。
力なく床に転がった彼女は餌だと教えられなければ、誰が人間だと思うだろう。現にサラは親にそうして差し出されなければ分からなかったのだから。
食べ物に感謝しなさい、それは誰の言葉だっただろう。
尊さに感謝こそすれ、憐れむのは間違っている。きっと偉いヒトはそう言うのだろう。
サラもそれを否定はしない。
けれど『どうして?』と考えるのだ。
わたしはどうしてヒトなのだろう。どうして人間を美味しいと思うのだろう。どうして人間について嬉々と語る同級生が気持ち悪いと感じるのだろう。
答えを探して色んな本を読んでみた。
もどかしい想いを両親にぶつけてもみた。
分かったのは自分が『どうして』の沼にはまり込んでしまったことだけだった。底なし沼にはまり込んだサラは、いつしか学校に行くのも憂鬱になり、ついに部屋に引き籠もるようになった。
引き籠もったからといって答えは出ない。哲学者になるつもりもない。
食べたくなくてもお腹は勝手に空く。お菓子とかパンとか嗜好品で済ませるけれど、どうしようもない飢えに悩まされ、錠剤を手に取った。錠剤の元が人工血液なのか、人間由来かはちゃんと調べた。もちろん口にするのは前者だ。苦々しい思いで口にし、飲み込むんだ。途端、空腹が和らぐ。
血がなくては生きていけない己の性をいやでも思い知らされ、その晩は泣いた。
生きていく限りずっとこんな思いをしなくてはいけないのだろうか。
サラは格子越しに居並ぶ人間を眺めつつ、やはりここでも答えやヒントなどは得られそうにないと感じていた。
娘の憂鬱な胸の内を感じ取っているのか、あれはどうかなどとグレンも勧めてはこない。それだけは救いだった。
早く一巡りして、帰りたい。
そう思っていたら、誰かの呟きが耳に飛び込んできた。
「――おひめさまだ」
思わず口から出たという感じの声だった。
サラは声の方向から呟いた人物を探した。
意外にもあっさり見つかった。
目が合ったのだ。
檻の中から、サラよりも年下に違いない少年が吃驚したようにこっちを見ている。
まるで職人が丹精込めたお人形のような美少年だ。
それまで見てきた中にも色んな種類の美少年が何人もいたけれど、彼は、サラの目には他とは群を抜いて美しく映った。
この綺麗な子も誰かに買われていくのか。
悪戯に四肢をもがれたり、加減もされず吸血されて、あとはゴミと一緒だ。
……わたしだったらそんなこと、しない。
きっと大事にする
「お父様、わたし、あの子が欲しい」
「まだ半分しか見ていないのに、もういいのか」
グレンが驚いた様子で、訊いてくる。無理もない。行くことすら乗り気でなかった娘が欲しいと言いだしたのだ。
サラははっきり首肯した。
自分は他のヒトとは違うのだと証明してみせる。これはちょうどいい機会なのだ。
だけどそれこそ間違っていたのだと、あとになってサラは、当時を思い返しては思うのだ。
目が合ったとき、サラはモモにもう心囚われてしまったのだ。
証明なんて口実で、本当はただ独り占めしたかっただけ。
これによって一時的だが『どうして』からは解放された。
だって、恋に『どうして』など関係ない。
気付いたときにはもう、そうなのだから。