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[Side:S 3/3]

 

 

 モモに知り合いが増えた。

 ――ライアン・ヘイズ。

 人間に興味があるとかいう、ちょっとかわったヒトだ。この霧の州のあるじ、その息子ということもあって、サラは下手に追い払うことも出来ずにいる。

 モモと比較的年が近くて同性。この条件に当てはまる者がアーヴィング邸にはいなかったから、モモにはちょうどよかったのかもしれない。

 そういう面もあるから、モモがライアンと仲良くすることをサラは邪魔したりしないが、本音を言えばちょっと複雑だ。

 だってその分、サラがモモと過ごす時間が減るのだ。

 本当はいつまでもべったりいられないことくらい、サラだって理解している。

 今はまだ親の庇護下だがやがて自立し、誰かと結婚する時が来る。もちろんモモを手放す気なんて毛頭ない。けれど、一番に優先することはきっと難しくなる。

 ……結婚。

 その単語はサラを気鬱にさせる。

 共に寄り添い末永く暮らしたい相手は一人しかいないのに。

 ……モモがいいのに。

 社会的には認められないが、おそらく両親はサラがそうしたいと言えば仕方ない一人娘の我が儘を認め、諦めてくれるだろう。

 ただそうなるときちんとモモを養っていけるだけの蓄えが必要だ。モモが将来を憂い嘆かない確かな地盤も築かなければならない。

 就職はグレンのコネを使った。影で何と言われようが、モモと二人で暮らす未来を思えば何も気にならない。

「今、帰りました」

「おかえりなさい、サラさま」

 職場から帰宅すると必ず玄関でモモが出迎えてくれる。

 昔はこちらを見上げてばかりだったモモを、この頃はサラの方が見上げなくてはならなくなった。

 いつかそんな時が来ると分かっていたくせに、いざ彼が自分の背丈を追い越せば、嬉しいような切ないような複雑な気分になったのは内緒だ。表面上は姉のようにモモの成長を一緒になって喜んだ。だってモモはずっと自分の身長を気にしていたから。

 成長していくに従い、モモの外見から頼りない面は消えていき、青年へと近づいていく。可愛らしい部分がなくなったわけじゃないけれど他者から『格好いい』『素敵』といった賛辞が増えている。

 一緒にいる身としては誇らしく、でもこれは私のモノだいちいち主張したくて堪らない。 嫉妬と独占欲の塊みたいな醜い自分をモモには知られたくなくて、サラは大人のふりをする。

 モモの前では常に優しいご主人様でいたい。

「――モモをどうするつもりだ」

 モモがいない時を狙って、ライアンが唐突に問うてきた。

 ライアンは特に約束もなく、アーヴィング邸にやってくる。来たらきたでモモに何かと構うから、サラはもやもやする。

 いちいち突っかかるのは大人げないし、かといって二人きりにするのも嫌で、黙って部屋の隅でこっそり様子を観察している。きっとライアンは気付いていて、だからなのかサラのいないところにモモを連れて行ったりしない。ライアンのそういう所も、なんだか年上の余裕みたいでもやもやする。

「どうって?」

 あくまでしれっと訊き返す。

 こちらを見るライアンの表情は真面目なものだ。

「いつまでも一緒という訳にもいかないだろう?」

 いわんとすることが分かって、サラは薄く笑った。

「あなたなりの忠告なんでしょうけれどまあ……ありがたく受け取っておきますけれど、でも余計なお世話だわ。あの子はわたしのものなの、絶対手放したりしないわ」

 サラはまっすぐライアンを見返して言い切った。

 アーヴィング家の一人娘の今後をあれこれ噂する声があるのは知っている。持ち上がる縁談の話を父が水面下で食い止めていることも知っている。

 それでもサラの意思は一つだ。

 ――ずっとモモといる。

 まるでサラのがそう答えるのが分かっていたように、ライアンはちょっと眉を顰めたくらいで特に動揺した様子はない。

「だけど……『サナギ』の間はどうする」

 耳に痛い言葉を言われ、サラは内心動揺する。

 それは近年ずっと抱いている畏れだった。

 もしもそうなったら、深い眠りに落ちている間、モモはどうなってしまうだろう。モモは人間だから、ヒトには逆らえない。

 今はサラがあるじとして振る舞っているけれど、眠っているサラではモモを守れない。

 想像するだけでじりじりと焦燥感に蝕まれる。

「……モモはそばにいるわ。他所へなんか、やらない」

 そばにいて、とモモには懇願するのだ。

 自分の言葉がどこまで通用するかはわからないけれど、モモはきっとサラの言葉を守ろうとするだろう。

「余計なことをあの子に吹き込まないでちょうだい」

 モモのあるじはサラだ。

 モモにはサラだけがいればいいのだ。

 あるじだとかヒトとか人間とか、そんな枠を越えて、サラとモモという対等な関係になりたいと思う日もある。でも物事には順序というものがあるのだ。サラにはサラの段取りがある。

 モモの軛を外すのは自分だ。

 その邪魔をしないで欲しいとライアンに鋭く視線をぶつける。ライアンはふっと息を吐いて肩を竦めた。呆れたのか、渋々了承したのか。余計なことさえしなければどちらでもサラにはよかった。

 でも思ったようにことは運ばない。

 ライアンはモモに余計なことを吹き込むし、モモはアシュリー・ヘイズに命じられて『最果て』へ向かわされる。

 全部サラのあずかり知らぬところだ。

 だってサラは『サナギ』だから。

 

 

 

 

 サナギは夢を見る。

 繰り返し過去を顧みる。

 

 初めて目が合った日のこと。魔法。熱があるのに平気なふりをする健気な姿。おまけに寝言で「おひめさま」だ。

 ……おひめさまってもしかしてわたしのこと?

 もしそうなら可愛い寝言ね、あなたにはわたしがどう見えているのかしら?

 たぶん、その寝言がいけなかった。

 サラはモモが抱いたらしいイメージを守りたいと思ったから。

 

 一緒にお風呂に入りながら、胸の所有印を見る振りをしてこっそり裸身を観察していた。子ども特有のぷにぷにした肢体が少しずつ男らしく引き締まっていく。

 何気ない顔をしてどきどきしながら触っていたこと、あなたは気付いていたかしら?

 気を付けて行動しているはずのモモが時々些細な怪我をして血を流す。

 その匂いは甘美で、傷口を舐めたい衝動に駆られたのは一度や二度じゃない。でもぐっと手を握って、腹に力を入れて、耐えた。

 きっと一度でも舌を這わせたら、止められない。

 気がついたときモモがくったりして息をしていなかったら……想像するだけで震える。

 もう『どうして?』じゃあ済まない。

 この世のおわりだ。

 だからモモに触れるときはガラスの置物を扱うみたいにいつもちょっと慎重になる。いっしょにはしゃぐときだって、ちょっと力加減が必要だ。人間はヒトよりもか弱い生き物だから。

 ……モモは食べ物じゃないもの。

 生唾を飲む。

 

 

 時々、頬や額に親愛の口づけを贈る。

 贈るだけじゃ物足りなくて、頂戴とお強請りした。

 それだけじゃ物足りなくなって、唇同士をふれ合わせた。もっと欲しくて、色んなところに口づけた。口づけ合った。

 ……モモはいつもサラさまはなんでも知ってるとか、余裕いっぱいだとか言うけれど、本当はそうじゃないんだから。

 あなたのためにいっぱい我慢して、あなたのためにいっぱい勉強してるの。恥ずかしいからそんなところあなたには絶対見せないけれど。

 だってがっかりされたくない。

 わたしは、強くてあなたを守れる、そんな「おひめさま」でありたいの。

 いっぱい努力するから、ずっと努力するから、ずっとずっとわたしのそばにいて。

 

 

 

 眠るのが怖い。

 目が覚めたときモモがいなかったらどうしよう。

 お父様にもモモをどこかへやらないでってお願いしなくちゃ。

 モモにもお願いしなくちゃ。

「……待っていて。目が覚めたとき、そこにいてね」

 はい、とモモが物分かりよく返事してくれたのは喜ぶべきなのに、でもちょっと複雑だ。だってそれはお願いを命令だと捉えたことにほかならない。

 モモにとってまだまだ自分は仕えるべきあるじなのだと思い知らされる。

 ……でもいつかただの『サラ』だって認識させてみせるから。

 

 わたしの『好き』とあなたの『好き』が同じ意味を持つ日がきますように。

 

 ――ねえ、モモ?

 

 

 

 

 

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 ぼやけた視界に影が映り込む。

 像を捉えようとゆっくりと瞬く。

 よく知った、けれどこんなにも精悍だったかしらという顔がサラを見つめている。

 名前を呼ぼうとしたら、先に彼の方が口を開いた。

 瞳を潤ませて、感極まったように告げる――。

 

「おはよう、サラさま」

 

 ぼくのおひめさま、と。

 

 

 

 


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[終]



 

 ここまでおつきあいくださりありがとうございました。

 

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